第5章:勝負(小説「悔恨」)

福岡小説小説:悔恨
2015年10月26日 月曜日

光太郎の提案は魅力的だった。

この頃には、弘一朗は株式会社ニュートンスクエアの共同代表取締役に就任していた。

そればかりか、実質、会社オーナーとして統治していた。

しかしそれは、弘一朗が強権によって手にした訳では無い。

事実、ごく身近な関係者以外は、井川純二が失墜したことを知らない。

ここで重要なことは、失脚では無く、失墜したということである。

表向きは今まで通りで、社長として代理店懇親会や、あるときには株式会社イーロン主催のハワイ旅行までも参加していた。

最重要取引先である株式会社イーロン社内でも、鏡以外詳細を把握していない。

勿論、鏡が報告を上げていないわけだが。

しかし、対外とは逆に、株式会社ニュートンスクエアの社内でその事実を知らないものは居ない。

井川純二は、社内での信頼を失い、その居場所を完全に失くしていた。

原田弘一朗の代表取締役就任は、閉鎖的選択であると同時に必然であった。

 

この頃より、前後して、井川純二は自分を見失っていった。

自分を見失ったからこうなったのか、こうなったから見失ったかは定かではないし、それは重要では無かった。

 

随分前には、眠れぬほど苦しんでいた従業員の視線は、もはや純二には届いていないようだ。

 

数年前の井川家での会合の後、急速に拡大する株式会社ニュートンスクエアを支えたのは、紛れもなく井川家から純二が用立ててくるお金だった。

現在では運営する直営店は10店舗、管理下に置く取次店は8店舗を数えるまでになった。

当然ながらこれらを手中に治める為の設備費は、売上利益と、銀行借入金では補える金額ではなかった。

以前のように、借りたら借りっぱなしという状態では無くなっていた。

それでも、井川家からの借入は最大で2億円近いところまで膨らんだ時期もあった。

勿論、最大での話であり、現在の借入残高はおおよそ三千万円程だ。

 

思えば、あの日、井川家での会合は純二に取って諸刃の剣となった。

 

鏡の悪意のない言葉は、井川の父親の自尊心をおおいに煽った。

その結果、純二は必要な時に、必要とするお金を準備できる力を手に入れた。

そのことがもたらしたプラスの副産物は、自信だ。

株式会社ニュートンスクエア代表取締役 井川純二は、金と自信を用いて有言実行を可能にする、本当のリーダーとなるはずだった。

 

しかし、そうは成らなかった。

彼は手に入れたマイナスの副産物に呑込まれ、落ちて行った。“誤想”だ。

 

イタリア製の高級車を会社経費で購入した。

朝、定時に出社しなくなった。

親しくなった代理店の社長らとの夜の遊びを覚えた。中州での授業料は高額で、自身の給料では追いつかず、会社のお金を持ち出すようになった。

その金額は、一月30万円だったものが、一月200万円を超えることも珍しく無くなった。

弘一朗はと言えば、軽く注意は促すものの、純二の功績も評価していた。

また、ここまで来るのに、我慢を重ねてきた純二の脱皮を、微笑ましいくらいに思っていた。

 

しかし、そんな弘一朗も見過ごすことの出来ない事件が、立て続けに起きた。

まず発覚したのが、目標達成報奨金の不正受給だった。

本来ならば、目標達成者に支払われる毎月のボーナスを悪用し、予め結託したスタッフに多めに支払い、分配する。

とても、社長の取る行動とは思えない。理解しがたい行為だ。

接待交際費の指摘を、税理士の江藤から受けたことがキッカケとなった。

恐らくは、父親に漏れ伝わることを恐れたのであろう。

全く呆れてものも言えないとはこの事だ。

更に情けないことに、結託したスタッフに分け前を渡さなかった。

事もあろうか、当事者であるスタッフが、社内で吹聴したことにより、事件が発覚した。

その額トータルで1200万円。

金額よりも、事の内容が重篤だった。

 

だが、次の事件は更に難儀だった。

 

純二が女性従業員に暴行したというのだ。

しかも、弘一朗の耳に入るより速く、現場従業員、株式会社イーロンまで知れ渡っていた。

 

弘一朗『おい、お前いい加減にしろよ。』

純二「ごめん。本当にすいません。」

弘一朗『事実か?すべて福山の言っていることは正しいのか?』

純二「覚えていないんだ。その日は酷く飲み過ぎてしまって。」

弘一朗『断片的にでも、なにか覚えているんだろう?』

純二「・・・・・・」

弘一朗『俺が聞いたところ、話が独り歩きしている。尾ひれがついてまわっているよ。』

弘一朗『乱暴したのか?したのか、してないのか。どっちだ。』

弘一朗『おい、手遅れになるぞ。俺には全部話せ。お前、もう見放すぞ。』

純二「わからない。・・・・・・・わからない。ごめん。ごめんなさい。」

 

恐らく、純二にここまで本気で怒鳴ったことは、学生時代まで遡っても記憶にない。

 

純二「はらちゃん、俺、俺はどうかしていたんだ。助けて、助けてよ、はらちゃん。」

 

弘一朗の動きは早かった。

一人ひとり、直接問い質し、話の出所を探していった。

そして、すぐに辿り着いた。まぁ初めからわかってはいたのだが。

そしてその事実(井川の目に余る数々の不義に沈黙を通していた弘一朗が、直接問題解決に乗出したという)が、社内の緊張感を高めた。

弘一朗が乗り出した頃から、誰一人、この噂話をするものは居なくなった。

 

福山理沙 入社間もないスタッフで、顧客管理を担当していて、弘一朗とも面識はあった。

(ショップのスタッフであるとか、支店の人間になると、弘一朗と会話すらしたことも無いという従業員も複数いた。本社の知っている社員で良かった。と思った。)

 

福山理沙と井川純二を会議室の向かい合わせに座らせた。

そして福山理沙に近い女性社員三名も同室させた。

 

弘一朗『男女の話だ。で非常にナーバスだが、会社の信用に関わる問題だ。白黒つけさせてもらうぞ。』

弘一朗『最初に俺から一方的に、現在把握していること、聞きたいことを二人に話してもらう。嘘を言う必要はない。自分の首を絞めるだけだ。大丈夫だ。どちらかに非があろうが、なかろうが、会社は守る。』

弘一朗『まず、なにがあったのかは二人にしかわからない。井川は自宅で、福山とそういう行為があったということは記憶にあると言っている。もし、無理矢理という事実があれば、それ相当の覚悟を持って、誠心誠意お詫びしたいとも言っている。

さて、ここでだ。この話を一番初めに、誰が、誰にしたのかだ。福山が堀田に話した。合っているな?福山。』

 

福山「よく覚えていません。」

弘一朗『うん。だから堀田を同室させている。堀田どうだ?』

堀田「それが12日の出来事だとすれば、私が聞いたのが、最初だと思います。メールや電話で先に聞いた方が居られるかもしれませんが、13日に私は事務所の鍵を開けました。その時に山田課長が出社されて、次に福山さんが来ました。

始業前に、ちょっとだけ、お酒匂うよ。大丈夫?と、私が声を掛けた際に、そういうことがあったと、福山さんから直接聞きました。私で間違いないと思います。」

弘一朗『メールや電話の件も確認済みだ。堀田が最初で間違いない。』

弘一朗『堀田。お前が初めに聞いていた話と、今、社内に広まっている話、食い違うところはないか?』

堀田「初めに聞いたお話とは違うように思います。」

弘一朗『福山、どうする?ここで全部話すか?それともこれで終わりにするか?』

福山「終わりにしたいです。少し間違ったイメージで噂になっているようなので、もう・・」

弘一朗『よし、終わりだ。何も事件性は無かった。それにしてもだ・・・炙り出すようなことして、なんというか・・・・堀田、福山、すまなかったな』

 

同室していた、堀田以外の女性社員達の冷めた視線は、テーブルを挟んで向かい合う、純二と福山そのどちらにむけられたものだったのだろうか。

 

冷たい雨が窓ガラスを濡らしていた。

部屋全体が、重たい空気に支配されていた。

 

ことの真相は、何でもないことだった。

福山は、社長である純二とそういう関係になることを望んだ。

二人で飲みに行き、純二をその気にさせて関係を持った。

純二は酷く酔っており、口止めや、今後の進展について話し合う間もなく寝入ってしまった。

純二が目を覚ます前に、福山は純二の家を後にした。

浮かれた福山は、その日のうちに、社長とそういう関係を持ったことを堀田に話した。

ところがだ、純二の社内での評判を知り、やるせなくなった福山が取った行動は。

 

“社長である純二に乱暴された”と嘘を拡散した。それだけのことだった。

 

それが誤解であったとしても、純二に追い打ちをかけるには十分過ぎた。

 

弘一朗の謝意に笑顔で答えた福山が、なんとも印象的であった。

 

 

誤解が晴れて良かった、胸をなでおろした純二だったが、本当の事件は、その時すでに始まっていた。

 

実家が倒産するかもしれないという。

突然の知らせだった。

 

詳しい詳細はこうだ。

 

次男であった純二の父親と、家業には一切関わりの無かった長男(純二の叔父)の間で遺産トラブルが起きた。隣合せに建つ実家での嫌がらせや裁判。

その争いは純二の父親の体を蝕んだ。小倉にある総合病院で癌であることを宣告された。

母親から純二に詳細が伝わった時には、もはや手の施しようのない状態であったという。

 

大手企業の研究室で働く純二の姉も、当然、純二も、家業を継ぐ意思はない。

(純二は自分が継ぐと、意思を示したようだが、両親が首を縦に振らなかったと聞いている。)

純二から聞いた話によれば、会社を清算して、重機や土地を売却し、資産の分配を行うらしい。それなりの規模の会社だった為、銀行借入金も相当額あるようだが、両親の預貯金で、完済出来るということも聞いた。

 

母親からは、涙ながらに言われたようだ。

≪これで、井川家は無一文になる。お父さんの病気でこれからもっと大変になる。

あなたには、出来る限りのことをしてきた。実家の土地建物、いずれも姉に相続する。

今となって思うと、あなたが立派に成長したことが心強い。

長男として、井川家を支えて行って欲しい。お母さんを助けてほしいと。≫

 

今まで会社に無関係だった純二の叔父は、何かしらの事情で金に詰まったか、はたまた兄弟にしかわからない確執があったのか、実の弟を裁判に掛け、引き継がれてきた会社を、失くすことになろうとも得たかったものとは、何なのか?

今はなにも考える余裕などないであろう純二の代わりに、考えてみた。

 

どんなに考えてもわからない。本当に、本当にわからない。

ただ、肉親で争うことを良とせず、裁判所の判決に従うことを選んだ純二の父親は強い人だ。

本当に立派な人だ。

 

今まで迷惑をかけ続けた父親に、最後の親孝行がしたい。

純二は、無期限の休暇を取り、実家のある北九州へ戻った。

 

その間、弘一朗は、代表取締役として、混乱していた社内をまとめ上げて行った。

 

また、光太郎からの事業譲渡の提案に、前向きに傾倒していた弘一朗は、半年前に入社した谷中悟に社内管理を任せるようになり、その権限を徐々に譲与していった。

 

季節が変わるころに、純二の父親が亡くなったとの知らせが届いた。

 

弘一朗は、株式会社ニュートンスクエアの舵取りを任せていた谷中悟に、井川純二のサポートを託した。

 

光太郎が譲渡すると提案してきた事業は、少額短期保険の募集業務だった。

厳密には、他にも幾つかの事業案件があったが、少額短期保険以外に興味はなかった。

年配者の終活ツールとして、葬儀費用に特化した商品だった。

互助会の制度と似ているところもあったが、商品企画から提携葬儀社まで、見事にロジックされていた。

既にノルマン生命でのパッケージ化まで漕ぎ着けており、募集パンフレットまで仕上がっていた。

また、この商品は向こう一年間、光太郎と黒田の会社以外(競合保険代理店)は販売出来ない旨の契約がノルマン社との間で成されていた。

それだけに、独占的に販売が可能なこの一年が勝負だと、弘一朗は熱くなっていた。

この商品は、世間一般に不透明と言われる葬式単価を明瞭化し、通常80~100万円の葬儀一式を僅かな掛金で補うものだった。

この頃は、外資系のがん保険など、特定分野に特化した掛捨保険商品のテレビCMが増えてきている。

 

このビジネスはいける。弘一朗は確信した。勿論、契約件数を熟せればの話だ。

 

携帯電話や、回線などを販売してきたノウハウは、保険募集にも活用できる。

実際、保険代理店や、時にはキャリアが、直接販売代行の要望に来ることも多くなった。

 

現行の通信ビジネスに閉塞感を感じていた弘一朗は、自由な発想でビジネス展開が可能なこの事業が、魅力的に映って仕方が無かった。

 

弘一朗は初めて自分から光太郎に電話を入れた。

 

弘一朗『やらせてもらうよ。保険』

光太郎「そうか。やるか。わかった。すぐに打合せだ。お前どこにいる?」

弘一朗『天神の事務所にいるよ。』

光太郎「天神のどこだ?今から行ってもいいか?」

 

弘一朗に似て行動が早い。

光太郎に弘一朗が似たというのが正解だろうが。

 

なんともうれしそうな、光太郎の声が耳から離れなかった。

 

暫くして、意気揚々と光太郎はやってきた。

親子のそれらしい会話は苦手だ。弘一朗は直ちに本題に入った。

弘一朗の考えはシンプルだった。

それは、少額短期保険の事業だけを頂戴したいということ。

 

弘一朗『俺は少額短期保険しかいらない。黒田さんはどういう考えなんだい?』

光太郎「あの人はもう、こっちの仕事に興味はない。お金を用意すれば何も問題ない。」

 

“譲る”と“買う”は同義語なのか。

貰えるという事ではないのは確かのようだ。

しかし、この時の弘一朗はそのことに気付かない。

仮に気付いていても、今までと同じように、相手の弱点を突くような商談を、父親相手に出来やしない。

 

弘一朗『黒田さんとお会いしてもいいけど、そっちで話し纏まるなら頼むよ。』

光太郎「今週末に会う約束がある。そこで決めてこよう。」

弘一朗『うん。何か決まったら直ぐに連絡して欲しい。』

 

美しいバラには棘がある。

うまい話には裏がある。

ただし、棘があることに、また裏があることに気が付かないことも、多々ある。

 

あれ程憂鬱だった光太郎の連絡を、今か今かと待っている。現金なものだ。

 

約束の週末に電話が来た。

そこで、黒田から出された質問と条件はこうだ。

 

第一に、黒田と光太郎の会社には日本政策金融公庫と朝日銀行に借金がある。その合計1,500万円。

代表取締役である黒田が連帯保証人に就いている為、代表取締役の変更があっても、恐らく金融機関は黒田の連帯保証人を外してくれない。それを如何に処理するのか。

第二に、黒田の会社への貸付金800万円はどうなるのか。

第三に、少額短期保険の事業を一千万円で買う。もしくは、毎月利益の一定額を黒田に納めてほしい。

 

どれ一つ取っても難儀なことだが、惚れた弱みか、弘一朗は欲しくてどうしようもない。

こんなことに手間取っている暇はない。開始時期が遅れることのほうが大損害だ。

黒田も満額の回答しか受け入れない腹積もりではなかろう。

直接会って一回で終わらせよう。弘一朗は光太郎に同席を求め、数日後にはその席に就いた。

 

弘一朗の事務所に来るという黒田を抑え、こちらから、黒田の経営する会社へ出向いた。

自宅兼事務所の、小さなパーティションで仕切られた応接間で話し合いは始まった。

 

弘一朗『初めまして。この度は、貴重なお時間頂戴いたしまして誠にありがとうございます。また、日頃より、父がお世話になっています。』

黒田「こちらこそ。弘一朗君、その若さで経営者とは凄いことだ。会社は非常に調子がいいらしいね。お父さんが自慢しているよ。頼りになる息子が居るってね。僕には男の子供がいないから、羨ましいよ。

10億円以上の売上があるんでしょう?

通信の仕事はそんなに儲かるの?

なにか他に儲かる話はないかな?

それにしても、お父さんにそっくりだ。

表の車、凄いね。

僕も博多に住んでいた時があるんだよ。どこに住んでいるの?マンション?買ったの?いくらしたの?・・・・・・」

 

それはまあ、よく喋る。

 

話の内容が、あっちへ飛び、こっちへ飛びで、思いついたことを全て口にしている様子だ。

弘一朗は答えられるものだけを選んで、淡々と事実だけを返答した。

 

黒田「近くに旨いうなぎ屋があるんだ。行こうよ。」

まだ、なにも本題を話していないうちから、うなぎを食べに行くことになった。

 

近くと言っていたが、車で15分も掛かった。

弘一朗の車で向かったのだが、道中は想像通り、黒田の独演会だった。

運転中は楽だ。適当に相槌を打っていればいいのだから。

弘一朗が車中で思っていたことは一つ。

“なんだか、この人だけにはご飯ご馳走したくない”だった。

旨いと言っていたが、駐車場はガラガラで閑古鳥が鳴いていた。

どうせ、たいして美味しくもないんだろう。否定的な考えばかりが頭を掠める。

 

初対面からもう、黒田にはうんざりだ。

これが、生理的に無理ということか。

 

株式会社イーロンの田中室長も生理的に受け付けないが、黒田程では無いな。

以外だったのは、うなぎは非常に美味しかった。弘一朗は、(今まで食べてきた中でも一番かもしれない)と思った。

あともうひとつ、お会計の際、黒田は三人分を支払おうとしてくれた。

なんとか制止して、支払った弘一朗だったが、小さな予想が続けて外れたことで、また、初見の黒田を理解しきれていないことで、“今日の商談は苦労する”そう直観した。

 

その日、小さな予測を続けて外した弘一朗の直観は、またも当たらなかった。

 

黒田「さて、ささっと決めちゃおうか。」

黒田「この前、お父さんに伝えていた条件について考え聞かせてもらえるかい?」

 

ここに来るまでに弘一朗は、ここまでの経緯をざっくりとだが、光太郎に聞いていた

何故ざっくりなのかと言えば、その大半が黒田に対する悪口で聞くに堪えなかった為だ。

 

会社設立から運営に至って、光太郎は一円も捻出していないこと、黒田が貸付けているお金は、光太郎と黒田の給料、其々の車の購入代金に充てられたこと、黒田は名ばかりの社長で、報酬を得るような通常業務を行っていなかったことなどだ。

光太郎の話だけを聞いていると、まるでままごとだ。従業員も居らず、銀行借入金で自分たちの給与を支払い、金が無くなって事業がストップした。恐ろしい話だ。

 

それでも、弘一朗はこの事業の可能性を信じていた。

黒田と会う前に、ノルマン生命の支社長と面会し、ことの信憑性を確認済みだったからだ。

 

弘一朗の当たらない直観はこの後数年、彼に悲劇をもたらす。

 

弘一朗『先ず、金融機関からの借金は、私が利息含め、用意します。一括完済して下さい。その後、この会社は清算して頂きたい。』

黒田「本当に?そうする。ありがとう。だけど、この会社清算する必要あるかね?」

 

借金が消える喜びと、まだ利用価値があるかも知れない会社を、失くすことへの未練が入り交ざっていたが、弘一朗からそれが絶対条件だと言われ、すぐに受け入れた。

 

弘一朗『次に黒田さんが会社へ貸付けているという800万円ですが。ご自身の給与も含まれているのですから、あと車両費としても。それを立替えるつもりはありません。

ここで、一緒に厳密に計算してみませんか?』

 

この弘一朗の提案に、黒田はあっさりと答えた。

 

黒田「その通りだね。それはもう大丈夫。それよりも、少額短期保険事業の件が重要だな。」

 

黒田が随分あっさりと引き下がったことは以外であったが、彼が言うように最後の件が最も難航するだろうし、それがあるからこそ、黒田は簡単に引き下がったのだろう。

 

弘一朗『事業の買収、またはロイヤリティーの支払についてですが、商品性質上、途中解約が一定数あると思います。一度、お支払いしたロイヤリティーから解約分を調整するのに手間が掛かりますし、事業の進捗によっては殆ど、ロイヤリティーを支払えないということも考えられます。買収で考えていますが如何でしょうか?』

黒田「そうだね。決まり。そうしよう。1,000万円でいいよね?」

弘一朗『ありがとうございます。1,000万円はちょっと高いですね。もう少し、値下げお願いしたいです。』

 

考える間も無く、黒田はそれならこの話は受けられないと即答した。

その後、黒田は顔を真っ赤に染めながら、激高することもあったが、誰よりもこの話を纏めたかったのは黒田だったに違いない。

 

弘一朗『黒田さん、僕は今日気持ちよく話をまとめたい。金額はどうしても譲れないという事なら1,000万円で構いません。その代り、二回に分けて支払させて頂きます。

数日以内に500万円、事業に不備が無いと分かった時点で残り500万円。

如何ですか?』

黒田「残りの支払はいつくらいの予定?」

弘一朗『それはわかりません。一月後かも知れませんし、半年後かもしれません。』

黒田「それでは遅すぎる。」

 

そのようなやり取りの後、弘一朗は、言った。

『700万円なら明日お支払いしますよ。』

「800万円」

『700万円です。』

 

結局750万円で決まった。

不思議と嫌な疲れはなかった。

翌日全額振り込みを終えたが、その後黒田に会うことは二度と無かった。

 

ここに、株式会社福岡システムが誕生した。

 

原田親子以外の従業員は、株式会社ニュートンスクエアから6名転籍してもらった。

資本金500万円はすべて弘一朗が出資した。

この話が全て決まった後に、鏡に話したところ、“俺も一枚咬ませてくれ”と資金提供の打診があった。

いつものように、食事しながらすぐに決まった。

 

数日後、鏡は帯封がされたお札10束を持参してきた。

その金をやり取りした時の様子はこんな感じだった。

 

弘一朗『どうします?半分出資金、半分貸付金にしますか?』

鏡「出資にしたら、決算書に名前出てこない?会社にしれたら面倒だから、貸付でいいよ。」

弘一朗『全部?やだよ。事業失敗したら返さないといけないじゃん。』

鏡「失敗するの?失敗しないでよ。いろいろ買いたいもの沢山あるんだからさぁ」

弘一朗『失敗はしないけど、もし失敗したら返さないですよ。』

鏡「その時は取り立てに行くから」

弘一朗『取り立てに来たら、・・・ボコボコにしてやるから。』

鏡「ちょっとぉ、そういうのは止めてよ。」

終始和やかに笑い声が絶えない中で、1,000万円のやり取りは行われた。

 

結局、借用書の一つも交わされなかった。

 

株式会社福岡システム立上げに際して、弘一朗が捻出した合計は3,000万円程であった。

資本金500万円と、鏡のお金1,000万円、計1,500万円を当面の運転資金とした。

 

この時点で、弘一朗が個人的に捻出したお金は、井川に貸付けた1,000万円(この1,000万円は井川が会社に貸付けた役員貸付金として計上したままだ。)、役員となった後、株式会社ニュートンスクエアに貸付けした2,500万円、そして株式会社福岡システム設立時の3,000万円、総額6,500万円であった。

 

同じ頃、株式会社ニュートンスクエアに復帰してきた井川純二から、相談を受けた。

 

実家で母親が相当に参っている。

無収入で、年金までにはまだ時間がある。貯えも少なく将来が不安であると。そして、資本金の1,000万円は別として、株式会社ニュートンスクエアに残る役員貸付金3,000万円を母親に返したいというものだった。

 

この時分の、株式会社ニュートンスクエアは、新規の設備投資を行っていなかった。

キャリアによる再編時期が確定せず、次の動きを見定めている時だったからだ。

当然ながら社内には、井川家に返済するだけのゆとりはあった。

ただ、今月、来月にも動き出すかも知れぬ、再編に備えておく必要があった。

一度、再編が始まれば、店舗の売買の話や、機器代金の購入資金が必要で、数千万円あれば足りるというものでも無かった。

また、不謹慎な話だが、井川家という有力な資金手当て先はもう無いのだ。

(その井川家に返済するかどうかの話をしている訳だが。)

井川純二に取って不幸だったのは、ほぼ同時期に、株式会社福岡システムがスタートしたことであろう。

原田弘一朗は、即決することが出来ず、少し考えさせてくれと返答した。

 

(俺も個人的に数千万円というお金を出している。こっちだってキツイのだ。)そんな、卑しい考えがあったことは否定できない。

 

それから数日して、谷中悟から連絡が入った。

「少し、三人で話がしたい。」

場所は三人だけがカギを持つ、隠れ家ともいえるマンションだ。

 

そう、谷中悟の取締役就任が決まったあの日だ。

 

大濠公園の横を通り抜け、弘一朗の運転する新型のベンツは、マンション下の大きなくぼみのある場所に、ゆっくりと停車した。いつもの駐車スペースだ。

 

玄関を開けると、二組の革靴が綺麗に揃えてあった。

短い廊下から、内扉を開くと、リビング中央に置かれた黄色いソファーに井川純二と谷中悟は向き合って座っていた。

 

この部屋に差し込む心ひかりは、実に気持ちがいい。

窓下に広がる大濠公園をぼんやりと眺める時間も、とても気に入っている。

福岡市の幸せな風景が、ガラス窓のフレーム越しに、すべて描写されている様だ。

 

リビングの二人はじつに対照的だった。

 

谷中はいつもに増して偉そうに見えた。井川は青白い顔色のまま、俯いている。

井川のこの顔を、今まで何度見てきたことか。

 

弘一朗『どうしたと?』

谷中と話すとき、たまに弘一朗も釣られて博多弁が出てしまう。

悟「いやね。社長から相談されてね。お金。」

一瞬で体が熱くなった。

この展開は弘一朗も予測していなかった。

悟「社長が役員貸付金戻して欲しいらしい。」

『戻して欲しいってそんなお前、勝手なことがあるか』と言おうとしていたのだが、途中で谷中が遮った。

悟「いや、それであんたには相談したけど、多分了承してもらえないやろうって。あんたが会社の事考えて、自分との板挟みになっとるんやなかろうかって話やったんよ最初は。」

それで?弘一朗は様子を見た。

悟「それでたい、会社の資金が目減りせんかったら、いい話やろ?俺がその金出させてもらおうってなったったい。」

弘一朗『俺が出す。っち、いくら出すとあんた。そんな金持っとんねだいたい?』

少し、驚いたというか、戸惑った。そんな弘一朗に衝撃的な言葉が返ってきた。

 

悟「三千万円。母ちゃんが貸してくれる。もうオッケイ貰ったばい。」

 

『あんたにそんなことしてもらうつもりはない。ましてやそれがあんたの母親の金なら尚更や。』

 

弘一朗は知っている。谷中の両親は早くに離婚していて、谷中と、その弟のふたりを谷中の母親はひとりで育ててきた。

大学時代は度々どころでは済まないくらい、谷中の母親にご馳走になった。

一瞬涙がこぼれ落ちそうになった。

 

悟「いいとって。かあちゃんも喜んどるはずよ。これが最初で最後やけんね。っち念圧されとうけん。」

弘一朗『だとしても、なんで俺を通り越して、谷中に相談しとんか?おかしいやろうが、応えろ純二』弘一朗はやり場のない怒りを純二に向けた。

 

純二が答えるよりも先に谷中悟が口を開いた。

「違うとよ。この会社に来て思ったと、力になりたいって。」

 

その言葉に純二が続いた。

「いや、これ以上はらちゃんにお願いするのは申し訳なくて・・」

 

弘一朗『だからといって谷中に相談するのはおかしい。そもそもはお前の勘違いした浪費が原因じゃないか』

 

そう言うのが、精一杯の弘一朗に対し、

 

「良いやない、俺が出したいっていいよるんやけ。これでみんな気を使うことなく、やりたいようにやって行こうや。」

谷中悟は二人の沈黙を打ち消すように力強く言った。

 

弘一朗は、もはやなにも言葉が見つからなかった。

 

この日より、井川純二と谷中悟は、毎晩のように酒を酌み交わすようになった。

 

弘一朗には戦略があった。

携帯電話でも、マイラインのような回線でも、クレジットカードでも、今では宅配水などもそうだが、いろいろな量販店、大型スーパー、書店、その他あらゆる場所で、数日間集中的に、催事を行う。ショップと呼べる代物では無いが、簡易的なスペースで客を集め、少額短期保険の説明と契約までを行う。かつて、サラリーマン時代に取った杵柄だ。

二か月掛からず、催事開催場所の確保、店頭販売員の確保、催事研修、全ての準備を終えた。

また、6名の従業員には全員、保険募集人の資格を取らせた。

後は、一気呵成に攻めるだけだ。

 

いよいよ初日の朝礼では、珍しく声を張り上げ、元気にスタッフを送り出した。

初めての試みだ。最初の内は多少苦労するだろうが、きっと成功する。直観だ。

 

ノルマン生命の支社長や、簡易保険を取扱う外資系の保険会社なども、その噂を聞きつけて現場を見学に来ていた。

また、それだけには留まらず、販売説明会の依頼も舞い込むようになっていた。

 

いける。やっぱりいける。

弘一朗は確信とも取れる感覚で市場に火が付くのを待った。

 

だが、契約結果が出ない。

場所を変え、スタッフを変え、半年間、毎日5か所ほど展開したが思うように数字が伸びない。

場所代一日10,000円・スタッフ1か所20,000円他に販促経費や交通費、社員給与などで、毎月の経費合計は700万円を超えた。

保険代理の収益構造とは、獲得した保険金の何割かを、決められた期間手数料として得るものだ。

例えば、1,000円の掛け金に対して、100円を五年間といった感じだ。

様々なパターンはあるが、基本的にはそういうものだと考えていい。

よって、初めは苦しいのだが、契約件数を積み上げていく度に毎月の収益が増え、経費バランスさえ間違わなければ年々利益が積み増さるという仕組みだった。

これを福岡システムに照らしてみると、毎月100件から300件程の契約しか取れていなかった。赤字黒字の話では無い。毎月経費の100%を赤字として垂れ流していた。

 

この時ほど、いやこの時初めて気が付いた。

株式会社イーロン、そして鏡の支援があって、自分は事業が出来ていたのだと。

軌道に乗るまでの、利益の積み上げが成るまでの負担を背負っていてくれたのだと。

独創的な仕事をする。株式会社イーロンの庇護のもと行っているビジネスなど、本当の仕事じゃないと、偉そうに吠えていた自分が情けなくなった。

しかし、この頃はまだ、巻き返しに掛ける気力を失ってはいなかった。

 

何故か。

弘一朗の最大の財産は成功体験かもしれない。

その成功体験に裏付けされた自信が彼を前へ前へと進める。

資金を繋ぐんだ。そうすれば、必ず逆転する。

弘一朗に、今、必要なことは、資金調達だ。

 

弘一朗の年齢とは釣り合わぬ、その個人資産の出所は、キャピタルゲインだった。

前の会社を辞める際、手にした売却益は1億円弱程あった。

 

(鏡も同様だ。

どれ程の売却益かは定かではないが、弘一朗の半分程度はあったのではないかと思われる。

ちなみに、同じ会社だった純二のそれは、120万円だった。)

 

それとは別に貯蓄していた分、退社後に株式会社ニュートンスクエアに来てから増えた分すべてを合計して出資分、貸付分、マンション購入費などを差し引いても、まだ四千万円ほど手元に残っていた。

しかし、僅か半年間の株式会社福岡システムの運転経費に1,500万円は消え、弘一朗の貸付金は2,500万円程に膨らんでいた。

鏡の1,000万円は泡と消え、弘一朗の手元現金も1,000万円程度になった。

 

ここで止めておけばよかった。

そうすれば、転落することもなかった。

代表取締役を務める株式会社ニュートンスクエアで、もう一度立て直すこともできた。

 

積み上げていけば、いつかは利益が出る。

それまでは、資金を注入しづけてやる。危険な思考に完全に陥った。

 

そして、弘一朗は勝負に出る。

 

丁度その頃、谷中悟もまた、別の悩みを抱えていた。

 

弘一朗が株式会社福岡システムに付きっ切りとなり、殆どの権限を譲与されていた悟は、徐々に純二の存在が邪魔になっていた。

元々社内に居場所を失くしていた純二の扱いに、困っていたのだ。

対外的には、原田弘一朗と並ぶ共同代表者である井川純二を、現場に放り込むこむ訳にもいかない。

ただ、純二が谷中の施策にケチをつけるようなことも無かった。

毎日ただ出社して、ゴルフコンペなどがある時だけ、社長として出席してくれたら良かったのだが、それなりの会社へ成長しつつあった株式会社ニュートンスクエアには、日々来客も多く、純二と谷中が二人で出迎え、商談するケースが増えていた。

それこそ、昔の弘一朗と純二のような関係性だ。

それでも尚、株式会社イーロンとの重要事項はいまだに弘一朗と鏡の独壇場で、谷中に出る幕はない。

谷中が一番ストレス感じていた点とは、何か。

通常の会社では当たり前だが、株式会社ニュートンスクエアでは当たり前でない不可思議。

 

簡単に言ってしまえば、井川純二そのものだ。

 

純二は取引先から可愛がられた。

それはもう本当に可愛がられた。元々人懐っこく、優しい性格である。

社長である自分と、本来の自分の狭間でバランスを崩し、不正に手を染め、社内評価を地の果てまで落とした純二だが、対外的には見れば、無邪気で偉そうぶらない、付き合いの良い、かわいい奴なのだ。

そこにきて、純二と同席の商談。

 

日頃の付き合いから、社長である純二に対する、谷中の隠せない横柄さは、相手に伝わる。

 

純二贔屓な商談相手は、谷中と仕事を進めたがらなくなるのだ。

しかし、会社として純二が何かをまとめたり、進めていくという決済を持たせて居ない為、谷中が進めていくことになるのだが、取引相手とうまくいかないというストレスだった。

 

勿論、谷中が悪い。

 

しかし、お金というのは恐ろしいもので、肩書や、芝居では覆い隠せない力関係を透かして見せる。

純二の為、会社の為に、当たり前のこととして、貸し借りなしで行ったつもりの行為であったが、谷中は自身ですらですら気づかない征服感を、抑えられずに居たのだろう。

井川が原田であれば、谷中はそこまで増長した考えを持つことも無かったであろうが、良くも悪くも株式会社ニュートンスクエアのキーマンはいつも井川純二だ。

 

「ちょっと、相談あるっちゃけど、時間作って貰える?」

谷中からの電話に、弘一朗は返した。

『丁度良かった。俺も話がある。今日夜飯行こう。』

 

その日の夕方、中州にある弘一朗ご贔屓の店でおち合った。

中州割烹“ひいらぎ”谷中は初めて訪れる店だった。

待ち合わせの時間より、少し早めに着いた谷中は、先に店に入っている。とメールをした。

定刻に現れた弘一朗に気付いた女将さんが声を掛けてきた。

「あら、社長久しぶりね。今日は同伴かなにか?」

『こんばんは、お母さん。待ち合わせでね。仕事。』

「今日は予約もそんなに入ってないから、奥の個室使って。どうぞ」

『先に来ているはずなんだけど。』そう言って店内を見渡すと、長いカウンターの隅に谷中が腰かけていた。

「あらお連れさん?ごめんなさいねぇ、さあどうぞ、あなたもこっち奥上がって、さぁ。」

奥の個室に腰を降ろした。

こういう時、弘一朗は下座に座ることが多い。意識してのことだ。

逆に谷中は上座に座ることが多い。多分、無意識だ。

(キチンとした会社に勤めていたはずなんだが、こういう所が谷中だよな。)ふと思った。

其々にウーロン茶と、ウイスキーを注文した。谷中は一杯目から洋酒を頼む。

(こういう所も谷中だ)

まだ挨拶程度の雑談も始まらないうちに、飲み物が運ばれてきた。

先程は、若い店員がオーダーを取りに来たのだが、持ってきたのは、女将さんだった。

きっと、本日の無駄に高いお薦めでも売り込みに来たのであろう。

予想通り、“オコゼの活き作り”やら、山口県直送の車エビなどを、頼む羽目になった。

 

注文を取り終えて立ち上がった女将さんは、谷中に一言浴びせた。

 

「あなた、社長じゃないんだからこっちに座らないと。」

 

『なんでわかるの?』谷中の代わりに聞いた弘一朗に向かってもう一言。

 

「顔見たらだいたいわかる。」

 

仕事でここを使うのは辞めておこう。危険だ。弘一朗は思った。

 

その時、久しぶりのセリフが聞こえてきた。谷中だ。

 

「いいねぇ、あんたは。」

 

旨い料理をひとしきり味わったあと、お互いの確信に入った。

どちらもそれなりに重たい要件を持ち込んでいた。

 

弘一朗『どうする?あんたのから聞こうか?俺の方は至ってシンプルだからあとでいいよ。』

谷中「なに?気になるねぇ。先にどうぞ。」

弘一朗『そっか。じゃぁ、お先に。事業が予定通り進まない。株式会社福岡システムでは、まだ銀行融資が受けられないから、㈱ニュートンスクエアから資金を廻したいと考えている。』

どう思う?であるとか、お願いしたいという類の言葉は敢えてチョイスしなかった。

谷中「大丈夫なん?保険は大変やろう。でもまぁ、軌道に乗せんといかんね。あんまり沢山は厳しいけど、どんな感じで廻すと?」

少し棘がある。棘というよりは、今は自分がニュートンスクエアを引っ張っていると言う自負からくる言葉の選択かもしれない。

弘一朗『現在は毎月700万程度赤字が出ている。俺は当然給料取ってない。少し、経費を削減して一年か二年後の完全黒字を目指している。やり方はいろいろあると思うけど、その都度、一番良い方法で、あんたと相談してやっていけたらいいと思っている。』

毎月の赤字幅に動揺はしていたものの、“あんたに相談してやっていく”というワードが効いたようで、結果的に来月からの資金提供が決まった。

 

谷中「わかった。予定進捗はあるやろうけど、経費削減は是非お願いしたいね。規模感を少し小さくしたらいいんじゃないと。あと、まとめてバンはきついばい。」

 

弘一朗『まとめてということは無い。ただ基本的には銀行融資が出来るようになるまでは、

㈱ニュートンスクエアからの支援が無いと回らないかな。現金を出し続けるのが厳しければ、こっちの社員給与を、そっちで出して貰うとか工夫がいるよな。

急激に契約件数伸びたところでスズメの涙みたいなもんだ。ただ、そっちも最初の何年かはきつかったよ。今でこそ、継続コミッションだけで毎月600~800万円くらいあるだろう?最初の一年とかは、毎月2万、3万だったんだからな。』

 

この頃より、弘一朗の発言において、株式会社福岡システムを“こっち”、株式会社ニュートンスクエアは“そっち”と例えるようになっていた。

 

谷中「そうやろうね。ちょっといろいろと計算してみよう。ただ社員給与は福利厚生やら、税金やらあるけん、ちょっと考えないかんねぇ。あんたんところの保険のコミッションっていくらなん?」

弘一朗『いくらやったかいな。忘れた。で、そっちの話はなんなん?』

弘一朗はこちらの話を一方的に終わらせた。

 

しかし、その昔、鏡が井川の父親に力説していた、“保険のような継続コミッション”は現在、寝ていても毎年1億円近い純利益を株式会社ニュートンスクエアに齎しているということだけは、疑いようのない事実だった。

 

次は谷中の相談だ。

 

「はっきり言うばい。いがちゃんいらんのやけど・・・・・。」

 

この頃、谷中は親しみを込めてか、どうかは分からないが、井川をいがちゃんと呼んでいた。

当然、本人の前でもだ。

アルコールが回ったのか、驚くほどの、直球を投げ込んできた。

たとえ、お金の問題があるにせよ、能力の問題があるにせよだ。

 

『いらんて。どういう事よ。』

弘一朗の問いかけに対して谷中は、少しストレートに言い過ぎた失敗を取り戻そうとしているように見えた。

谷中「いらんていうか、いがちゃん自身が株式会社ニュートンスクエアにおるのが、しんどいと思うちゃんね。いろいろな事があったやろう。やっぱり女性社員も、二人きりになるのは怖いとかそんな話もきくんよね。」

弘一朗『それをサポートするのが、あんたやろうもん。あいつ創業者よ。社長ばい。』

自然と純二を庇う言葉が出てきた。

そしてそれは、全て事実だ。

それと同時に、久しぶりにゆっくりと会う谷中に一抹の不安を感じた。

 

現在、自分が置かれた状況を客観的に見ることは簡単ではない。環境や状況が変わって初めて人は考える。そして、気付く人は気づく。気付かない人も多い。

更に厄介なのは、気付いた人間が救われるのか、報われるのか、変われるのかは別問題だと言う事だ。

弘一朗は考えてみた。

先ずは、鏡庄司だ。

鏡は気付かない人だ。自分の世界からは、出れない。恐らくは出る勇気と、見識が足らないのであろうが、当人はいつでも出れる。出ないという選択を自分自身がしていると思い込んでいる。

次は、谷中悟。

谷中はまさに今、劇的に変わってきている自身の状況に、呑込まれようとしている。

会社または社会でもいい。その常識の範疇から大きくそれようとしていることに気付いていない。もし、気付いたとして、自分自身にブレーキを掛けれるのだろうか。

では井川純二はどうか。

結論から言うと純二は、何かに呑込まれ、自分を勘違いし、見失い、自分の力では前も見えない暗闇にいる。彼が、何に呑込まれたかを特定するのは困難だ。

ただし、彼はその途中、途中で気付いていた。恐らく今この時も気が付いている。

しかし、報われない。それどころか、まだまだ底の見えない蟻地獄の中で叫んでいるはずだ。

助けて。誰か助けて。はらちゃん、はらちゃん助けてよ。と。

最後は原田弘一朗。

自分自身の論評など、出来やしない。

 

客観的に自分を彼と例えて考えたとしても、それを語るのは今ではない。

 

最後の時に“彼”を例えるものがなんなのか。

 

谷中「しっとうよ。俺はあの人のこと、嫌いじゃないとばい。」

 

弘一朗『しっとうよ。店変えるばい。』

 

谷中と同じ言葉を返した。

 

谷中の“嫌いじゃない”その言葉が深く突き刺さった。谷中は本音で言っている。

弘一朗にはそれが分かった。

井川純二を見下すもの、罵るもの、そんな人間は数知れない。

ただ、だから彼を、井川純二を嫌いなのかと言えばそんな人間は少ないと思う。

人の欲求や、怒り、そのようなものを吸寄せ、自らの中で消去しようと試みる。

しかし、そのような能力は無く、その見えない力に追い詰められているのではないか。

 

今夜は、やけに気に懸かる。井川純二はやっぱり、キーマンだ。

 

「いらっしゃいませ。原田様。こちらの席へどうぞ。」

ようこそ、クラブ アマルフィへ

 

弘一朗と谷中は中州でも高級店として知られる、クラブへと移動していた。

テーブルにはマッカラン12年とレミーマルタンXOが運ばれてきた。

ボトルキープタグには原田と記されている。

あのまま割烹に居ても、雰囲気が悪くなるだけだと思った弘一朗は、谷中を次の店へと、エスコートした。谷中とこのようなクラブに行った記憶は無かった。

谷中の意地か、無関心か、“いいねぇあんたは”のフレーズはここでは聞かれなかった。

弘一朗は、酒はからっきしだが、クラブの空気感が昔から好きだった。

自分から積極的に口説くようなことはまず無い。

余程の女性にでも口説かれない限り、弘一朗が妻を裏切ることは無かった。

 

クラブ アマルフィ ここには弘一朗の余程な女性がいた。

 

弘一朗『さっきの話だが、こっちにきてもらってもいいよ。純二。』

谷中「本当に邪魔とかじゃないばい。ただ、いがちゃんのことを考えたときに、今のうちの環境よりかは、一旦でもあんたの所で違う空気吸った方がいいと思うんよね。」

傍から聞いてるともう完全に谷中社長って感じだな。弘一朗少し俯いた。

弘一朗『井川はこっちで頑張ってもらうよ。』

谷中「うん。それがいいって。どうしようか?」

弘一朗『あんたに言わせるのは酷よなぁ、俺が話をしてみる。ただし、株式会社ニュートンスクエア代表取締役の肩書はそのままという条件。いいな、それだけは・・・』

 

何だか今、谷中のから言わせると、純二が辛くないだろうかと思い、その役をかってでた。

 

谷中「あんたは、冷徹なのか、優しいのかよくわからんねぇ、まぁいいたい。誰にでもあるたい、そんな時が。」

 

「私は井川さん好きだけどなぁ」

 

谷中のグラスに、マッカラン12年の新しい水割りを作り終えたところで、安田優里奈は口を開いた。

「井川のこと、知っとうとね?」谷中の問いかけに対して、

「はい。二年ほど前から。思いやりのあるかたですよね。」

クラブ アマルフィで働く優里奈24才。付き合って二年になる、弘一朗の愛人だ。

「井川はここよく来ると?」

谷中の質問に、なんと答えたらいいのかと、こちらの顔色を伺いながら、

「たまに、使っていただいています。」と優里奈は答えていた。

「そりゃあこんなとこ、来よったらいくら金あっても足らんばい。」

怪訝そうな顔を見せた谷中だったが、アマルフィのママが丁重に挨拶に来たことで、谷中の機嫌はよくなったようだ。

 

その夜、優里奈の引っ越したばかりのマンションで、弘一朗は優里奈に聞いた。

『俺ってどんな人間だ。』

「優しいひとだよ。特別な何かがある訳じゃない。特別優しいわけでもない。ただ、優しい人。」

『それだけか?』

「それ以外にどんな答えを期待しているの?居てくれたらいい。ずっと。」

『そうか。』

弘一朗は、優里奈の生活の面倒を見ているわけでは無い。

彼女もそれを望んではいなかった。

むしろ、毎月の収入ということだけ見ると、彼女の方が弘一朗よりも多かった。

心苦しい想いをさせている、そんな罪悪感からせめて引っ越しの代金くらいはと、お願いして支払させてもらったくらいだ。

 

弘一朗は株式会社ニュートンスクエアに来ていた。

随分と久しぶりだ。

谷中には事前に連絡して、席を外しておいてもらった。

事務所の一番奥には、パーティションで隠れたスペースがあり、そこに純二のデスクがあった。

『社長、隣行こうか。』

昔から、大事な話をする時に使う喫茶店へ、純二を誘った。

弘一朗はこのとき何故か、井川を“社長”と呼んだ。

おそらくはもう、純二の事を社長と呼ぶことは無いと知ってか知らずか。

 

『うち、今かなり厳しんだ。こっちで一緒に頑張ってくれないか?』

敢えて最近の状況などは聞かず、いきなり切出した弘一朗だったが、純二からの返答は意外なものだった。

「そうか。はらちゃんでも厳しいことあるんだね。俺に出来ることはなんでもするよ。遠慮しないで一従業員として仕事振って下さい。感謝しています。社長。」

 

この日を境に、純二は弘一朗を社長と呼び、すべての会話が敬語となった。

高校時代から続いていた友情関係が、消えた。

でもそれは、井川純二自身が望んだことに、間違いない。

それと同時に三人が、其々の立場を歩みだす区切りの日でもあった。

株式会社福岡システム 部長 井川純二として。

 

この時点で株式会社ニュートンスクエアは代表取締役原田弘一朗、同じく代表取締役井川純二の二人が、本来の業務から外れるという歪な組織となった。

本来であるならば、全ての執行責任を谷中が持ち、代表取締役である二人が、拒否権のみを行使するという形を取りたかったのだが、自分たちの都合だけを通すのは困難だった。

 

谷中悟を常務取締役として、株式会社イーロン、その他すべての取引先に執行責任者として周知して頂いた。

これにより、谷中は株式会社イーロンに出入りすることになったのだが、鏡は、弘一朗との密林関係は、谷中とは築けないと判断から、結局、重要事項の折衝は、弘一朗が継続することになった。

また、かなりの頻度で開催されていた、代理店懇親会や、ゴルフコンペにはすべて谷中が出席し、余程のことが無い限り、井川の出席は見送るようにした。

それは、井川自身の希望でもあった。

 

またこの時、谷中は4WDの新車を経費で購入した。

 

純二は以前の彼では無かった。

無駄な経費は一切使わず、朝早くから夜中まで、一心不乱の働いてくれた。

弘一朗はどうか。

谷中と相談しながら毎月の経費を300万円程度削減、関係会社貸付金として毎月400万円の支援を受け軌道に乗せる為、奔走していた。

 

その後も事業は好転せず、単月黒字になるための、ストックコミッションの計算をしていた弘一朗は谷中に連絡を取った。

『今の獲得件数で推移した場合、あと26ケ月後に単月黒字になる。最低でもあと一億弱は必要だ。』

「いや、それは無理ばい・・・。」谷中の返答は当然だった。

 

話は数日前に遡る。

日曜日の午後だというのに、弘一朗と鏡は、株式会社ニュートンスクエア隣の喫茶店にいた。

 

鏡「大きな買収だ。成約手数料が変更になることはないと思う。もし下がったとしても、500円から1,000円だ。それでもお前のところの販売数量から言うとかなりの収入減になる。

もしもの時はうちの会社から補填を入れる。心配しなくていい。

問題なのは継続コミッションだ。

今はおそらく、1件あたり200円前後入っていると思うが、業界再編で、通話料金という概念自体がなくなる。基本料金や、パケット代金込みの定額料金設定になるのは間違いないと思う。その時には1件200円入っていたものが大きく下がる。どのプランに偏るかはわからないが、うちの試算では1件70~90円ってとこだ。

この継続コミッションは正直言って株式会社イーロンもほとんど搾取してないから補填する原資がない。」

現在直接的に、株式会社ニュートンスクエアに関わっていない弘一朗にも事の重大さはすぐに理解できた。

年間に1億円ほどある純利益が下手をすると3,000~5,000万円まで目減りするという事だ。株式会社福岡システムに資金を廻せるはずも無くなる。

 

弘一朗『厳しくなりますね。まあ大きな流れには逆らえないか。」

鏡「暫くはね。でも悪いことばかりじゃない。キャリアに動きがあるという事は、代理店にもその流れは波及する。お前のところが厳しいという事は、よその代理店は、もっと苦しいはずだよ。そうしたらどうなる?倒産するところや、身売りするところが幾つも出てくる。間違いない。

その時に株式会社ニュートンスクエアがどんどん買収してしまえばいいんだよ。」

 

確かにな、多分、鏡の言っている通りになる。

 

弘一朗『そうですね。』

 

鏡「あっちの方どお?どお?儲かっている?俺フェラーリ買える?ねぇねぇ。予約しちゃおうかなぁ。」

弘一朗『乗れるかぁ。顔見て言え。』

 

冗談で返した弘一朗だったが、この頃から鏡に隠し事をするようになった。少しずつ。

 

鏡「それは冗談だとしても、どんな感じ?なんかあれば言えよ?」

弘一朗『なんかあったら言いますよ。追加資金くれとかね。まぁ実際は最初に言った通りです。二年位は時間かかります。』

鏡はにこやかに車で去って行った。

谷中が新車に乗り換えているというのに、鏡の車は前と同じだ。

なんだか、申し訳ない。

鏡との打ち合わせを終え、心底思った。

≪なんて、安心感だ。≫

業界の動きをいち早く、相談できる相手がいる。

起こるであろう問題に向き合い、うちに任せろとまで言ってくれる。

なにより、やっぱり、鏡との仕事は楽しい。

さっきの会話のように冗談ではなく、本当にきつい、辛い、助けて

ほしいって俺が言ったらどうなるんだろう。

 

『そうだよな。厳しいよな。』

谷中を責めることは出来ない、何とかしなければ。

少しずつ、確実に弘一朗は追い込まれている。

 

何をしてもうまくいかなかった。

株式会社ニュートンスクエア代表取締としての給与を、向こう一年間は、受け取らない。

精一杯の誠意を示して、谷中との話し合いに臨んだ。

 

『今辞めたら、今までの苦労が水の泡だ。俺に考えがある。あと数か月助けてくれ。』

弘一朗に昔の余裕はない。

「出来る限りのことはする。あと一年の辛抱やろ?乗り切るうや。決算書が仕上がったら銀

行融資受けるけん。うちもいくつか店舗買収と移転の話があるけんさあ。2億くらい借りよ

う。どうせあんたと、いがちゃんが保証人にならないかんやろ?俺も代表やったら、一緒に

保証人になるんやけどね。儲けて返済協力頼むばい。」

 

谷中とは完全に立場が逆転しそうなところまで来ていた。

だがそんなこと言っている場合ではない。

それよりも、谷中が協力を明言してくれたことにほっとしていた。

自分が代表取締役でここまで成長させてきたこと、貸付資金の原資は銀行融資で、その保証人は自分だということも忘れるほどに。

 

一息つけた弘一朗は、久しぶりに優里奈とゆっくりとした時間を過ごしていた。

優里奈といると落ち着く。というのは少し前までの話で、最近では一緒に居ることが苦痛になってきている。

付き合い始めた当初は、20代前半で、少し年上の男に惹かれた程度だったのだろうが、年月を重ね、25歳を超える頃に差し掛かって急に不安に襲われるようになったのだろう。

“結婚したい。”と言うようになった。

寝ても覚めてもそればかりで、夜中などには号泣して電話がくることも度々だ。

しかも弘一朗は今、女性にうつつを抜かしている場合ではない。

 

二人で会う時間は少なく、優里奈にとっては今、貴重であり、とても幸せな時間だ。

 

「私にはあなたが全てです。なんでもするよ。なんでもね。」

 

優里奈の言葉に、弘一朗はげんなりしていた。

泣きながら掛かってくる電話の時もそうだが、なんとも重たい言葉をチョイスするものだと訝し気に聞き流していた。

この時はまだ・・・・。

 

弘一朗が自分を見失うまでのカウントダウンは始まった。

 

もう一人の原田はどうだろうか光太郎である。

初めの半年程は、毎日事務所に来ては、精力的に打合せをこなし、従業員の報告に一喜一憂していた。

途中、弘一朗が事業の縮小を唱えた際も、その将来性を強く訴え、事業部全体を叱咤激励するほどであったが、いよいよ雲行きが怪しくなってくると、会社で顔を見ることは、無くなっていった。

黒田に接触し、将来性のあるビジネスだと口説いた。そして最初の資金を出させた。

それが底をつくと、銀行借入を打診して成功させた。

その返済に詰まり、黒田との折り合いが悪くなった。

責任問題や、保証の話になったところで、息子がビジネスで成功していることを知る。

黒田の時と同じように息子は飛びついた。

事業を買収させ、その利益を以て黒田との遺恨は消えた。

その後は息子の会社からでる給与で生活し、先詰まりが見えてきたところで姿を消した。

給与を貰える、役員の肩書を与えてくれる対象が、黒田から弘一朗に入れ替わっただけだ。

一番最初に電話が入った日から、次の電話入る日までに、光太郎はいそいそと黒田のお金を吸い取り、弘一朗はせっせとお金を貯めていたのだろうか、光太郎のままごとに付き合うために。

“弘一朗、夢が見れて楽しかったか?また遊ぼうな。”

父親がそういっている気がしてならなかった。

絶対に、絶対にものにして見せる。金ならいくらでもつくれるさ。

 

1章:ひかり
2章:友情
3章:変化
4章:親子の関係
5章:勝負
6章:破滅
7章:悟の狙い
8章:父の想い
9章:純二の視点
10章:回想
最終章:闇の真実


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