第六話 小さなミス(小説:モテすぎた男)

福岡小説小説:モテすぎた男
2017年1月10日 火曜日

「憶えていてくれたの?嬉しいよ。」
「憶えていますよ。ワールドバンクにお勤めの瀬尾さんでしょう?」
「そう。いやぁまさか俺のこと憶えていてくれていたなんて。」

一度出会った人間の顔と名前を記憶することは彼女の仕事柄当然のことなのだが、瀬尾は非常に嬉しそうであった。

「以前はゆっくりとお話しすることも出来なかったので、今日は色々とお話聞かせてくださいね。」

「そうだね。僕も沢山話したいことがある。取りあえず酔ってしまう前に携帯電話の番号教えてよ。」

「いいですよ。」

「本当に?ありがとう。嬉しいよ。」

 

クラブで働く女性が自身の連絡先をお客に教えることは当たり前なのだが、出会いの始まりがセミナーだったという事実があるだけで、瀬尾は意中の相手の連絡先を入手できる喜びに支配されているようだ。

 

「外資系金融機関ってどんなことをする会社なんですか?」

「そうだなぁ、一言で表現すると経済をリードする。いや支配していると言ったほうが分かり易いかな。」

「なんだか壮大なお話ですね。今読んでいる小説が銀行マンの葛藤と奮闘を描いているものなのだけど、そういう銀行とはまた別なんでしょう?瀬尾さんってすごい方なんですね。」

安田優里奈は最大限に瀬尾を持ち上げた。

そして瀬尾はそんな安田優里奈の言葉に高揚し、更にギアを上げた。

「背負っている使命という点においては大きな違いはないよ。ただ、扱う案件の違いや、その利益の追求と云う側面では似て非なる部分があると言わざるを得ないかな。」

「なんだか難しい話ですけど、とても興味深いですね。いずれにしても瀬尾さんがその重責の中にいることだけは何となく分かります。短い時間ですけど、癒されて行ってください。」

この発言には安田優里菜の気持ちが詰まっている。

“とても興味深い”けれども、もう聞きたくない。

“短い時間ですけど”イコール「今日限りですけど」楽しんでいってねということだ。

冒頭から、断片的ではあるがその様子を伺っていた田村は教え子の不出来に苦笑いを浮べるだけであった。

そんな田村は一人でグラスを傾けていた。

どうにもガラス板一枚挟んだ真後ろの二人が気になって仕方無かった。

 

「あすかちゃん、大人になったね。あの時にはまだ10才くらいだったよね。懐かしいなぁ。

外見だけでは絶対にわからなかったよ。女性は変わるものだね。」

「うん。11才小学校五年生だった。しゅんちゃんはあの頃とほとんど変わらないね。一目見てすぐにわかったよ。

それにしても私ってそんなに変ったかなぁ?」

「まぁ、子供だったからね。変わったと言ってもあの頃の記憶も朧げだしね。“カエル”あれが出て来なかったら絶対に思い出せなかった。」

 

「カエルかぁ。あの日のことは忘れない。とても辛い記憶であるのは間違いない。だけどあの日しゅんちゃんに出会った。そして、私の辛い日々が終わった日でもあるんだよ。その日を境に私は希望を持てた。違うな、希望なんかじゃない。夢でもないな。なんだろ上手に言えないけど、とにかくしゅんちゃんに人生捧げるって決めたんだ、私。」

 

突然の告白に谷川旬は一瞬言葉に詰まった。

先ほども突然の告白を受けたばかりだったが、素性の知らない綺麗な女性がセミナーの中で発する発言と、正体の知れた女性が二人きりで発する言葉とではその重みも違う。

ましてや、好きや愛してると云った感情に左右される類のものでは無い。

一人の美しい女性が言う“人生を捧げる”と云う言葉に、すぐに反応できないのは当然だ。

 

二人の会話に聞耳を立てていた田村は考えていた。

自分ならここでなんと返すだろう。

瞬時にして答えが出る筈もない、しかしそれでは恋愛セミナー主催者として失格だ。

そうして一つの答えに辿り着いた。

 

“自分には回答を導き出すための情報が不足している”のだと。

 

そもそも“カエル”とは一体どういうことなのか?

 

気になって仕方ない。

谷川旬に助け船を出す振りをして、カエルの真相を確かめたい。

その思いが強くなっていた時にはすでに、二人のテーブルに足を向けていた。

 

「なになに、お二人は知り合いだったの?」

「ええ、そうなんです。最初は気付かなかったんですけど、つい先ほど思い出しまして。

私と同郷でした。」

田村の出現はまさに助け船となったようだった。

谷川旬はやさしい笑顔を田村と藤原明日香に向けた。

「突然ごめんね。いや、盗み聞きしていた訳では無いのだけど、タクシーの中でも一緒だったしね。ところで“カエル”ってどういうことなの?」

田村の直線的な質問に藤原明日香は露骨に不快感を露にした。

「私と谷川さんの大切な思い出です。言いたくありません。」

「いや、それならいいんだ。申し訳なかったね。少し気になったものだから。」

「とんでもありません。なんだかセミナー中に勝手なことをしてしまっているのはこちらの方です。すいません。それと二人だけの時間も作って頂きましてありがとうございます。」

 

少し深入りしすぎたかと頭を下げた田村に対して、谷川旬は丁寧にお礼を述べた。

そして、続けた。

「あすかちゃん、田村さんのおかげで二人は再会できたのだから、機嫌直しなよ。それに今はもう辛い思い出なんかじゃ無い筈だよ。」

「辛い思い出じゃなくなるかどうかはしゅんちゃんの答えで決まるよ。一生傍にいてもいい?」

重たい言葉に二人ともに押し黙ってしまった。

しかし、すぐに彼女は続けた。

「冗談ですよ。いいですよ。“カエル”の話。でも笑える話では無いですよ。」

きっと空気を感じ取ったのであろう。

その後藤原明日香が教えてくれた“カエル”の真相とは次のようなことだった。

 

藤原明日香が生まれ育ったのは東京であった。

両親の不和により別居することになった彼女は、母親の生まれ故郷である福岡県北九州市の田舎町に引っ越してきた。

都会暮らしの染み付いた彼女は田舎暮らしに馴染めず、更には日々激しさを増す同級生からのいじめに苦しんでいた。

いじめの発端となったのは、彼女が通学時に使用していたランドセルにあった。

田舎では見ることのない横長のお洒落な、そして鮮やかな黄緑色だった。

初めはそのランドセルを野次ったり、軽く小突く程度のことが次第にエスカレートして行ったらしい。

そしてある日、決定的な事件が起きてしまった。

学校帰り道、いつものように数人の生徒達から、いつものようないじめを受けていた。

その時暴走した生徒の一人が激しく彼女のランドセル目掛けて、体当たりをした。

その勢いのまま彼女は前のめりに倒れ込み、そのまま深さ1メートル、幅2メートルほどの用水路にずり落ちてしまった。

用水路の緩やかな流れにうつ伏せに浮く、そのランドセルを背負った彼女の姿はまるでカエルのようであったらしい。

その姿をみた同級生達は「カエル、カエルだ。」と大声で笑い続けた。

藤原明日香はと云うと、初めこそなんとか立ち上がろうと試みたものの、思う様に体が動かず、徐々に薄れゆく意識の中で、「もう、このまま死んでしまってもいい」と思っていたそうだ。

そしてその頃になると、流石にばか騒ぎしていた同級生達も、事の重大さに静まり返っていたようだが、用水路に飛び込んで彼女を救出するという事までは出来ずに震えて怯えているだけであったらしい。

 

実におぞましい話だ。

子供の悪戯では済まされることでは無い。

 

そして、そこに現れたのが、当時高校生であった谷川旬と云う訳だ。

彼女の異変に気付いた彼はすぐさま用水路に飛び込み、彼女を引き上げた。

幸いにも藤原明日香はすぐに意識を取り戻した。

 

これが二人の出会いだ。

 

その後、彼女が気になった谷川旬は定期的に彼女の話し相手となった。

藤原明日香にとってそれは、生きる希望であり、初恋であったということだ。

その後、正式に両親が離婚し、それまでの“佐竹姓”から母方の“藤原姓”を名乗るようになったらしい。

二人の微笑ましい時間は、彼が高校を卒業する間際まで続いたようだ。

 

“カエル”の真相を聞いた田村は複雑な想いに支配されていた。

慣れない土地で、日々いじめに苦しんだ様は今の藤原明日香からは想像もつかない。が、彼女の中では消えることのない辛い記憶であることは間違いないであろう。

しかしそれと同時に神様は、谷川旬と云う生きる希望を与えてくれた訳だ。

以来、10年以上彼女は彼だけを思い続けて今日、運命の再会を果たした。

 

果たしてそのような美談だけの話であろうか?

佐藤の話に寄れば、藤原明日香は上場企業会長の愛人であるということではなかったか?

この若さであんな年老いた会長さんのお相手が務まるのだ。

それ相応の経験を積んできたのではないのか?

いづれにしても、少女時代に出会った王子様一筋にその人生を歩んで来たとは到底思えない。

そして、この二人の出会いは偶然なのか?

藤原明日香がアシスタントに応募してきたのは谷川旬の出席が決まった後だ。

何らかの方法でその情報を入手し、接近したと考える方が正しかろう。

 

どちらにしてもこの二人、気になる。

 

田村は自身のテーブルに戻り、店内の参加者を一人ずつ観察して行った。

 

その時眼に映ったのは酷く泥酔した瀬尾の姿であった。

 

おそらくは、安田優里菜に飲まされたのであろう。

誇らしげに自身の有能ぶりを語る彼を手っ取り早く黙らせる為に。

しかし、泥酔した瀬尾は大人しくなるどころかその勢いを増して行った。

 

「困ったことがあれば何でも言ってよ、優里菜。どんなことでもするし、なにからも守ってやるからね。」

「ありがとう、瀬尾さん。」

気持の大きくなった瀬尾は呼び捨てになり、さらに自身を誇大するようになった。

 

「今日だってね、ここにいる人の会社に出資するようにしたんだ。この俺がまとめたんだよ。すごいでしょう?ねぇ優里菜。」

安田優里菜の返答を待たずして、隣のテーブルで静かに飲んでいた明石が瀬尾に駆け寄った。

「飲みすぎですよ、瀬尾さん。」

「うるさい。酒ぐらい自由に飲ませろ。お前の出番はまだだよ。引っこんでろ明石。」

瀬尾の大きな声が店内に響いた。

 

田村を含めた皆が訝しげに瀬尾に目を向けたその時、奥のテーブルから毛利が遣って来たと同時に、瀬尾をソファーに投げ倒した。

 

「飲みすぎだぞ、先に帰ってろ瀬尾。」

それはもう鬼のような形相の毛利を見て瀬尾はふと我に返ったようであった。

 

「毛利さん、すいません。俺少し、あの、、」

「先に帰ってろ。」

「わかりました。」

 

そのまま毛利は安田優里菜にも、勿論田村にも一目もくれることなく店を後にした。

 

田村以下参加者全員が感じた違和感は、瀬尾が泥酔した事実ではなく、毛利と瀬尾の関係性であったことは間違いなかった。


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