第九話 迷い(小説:モテすぎた男)

福岡小説小説:モテすぎた男
2017年2月21日 火曜日

クラブ「アマルフィ」を出て、馴染みのスナックに一人顔を出した後、ホテルの部屋に戻った三上は、以前より少し寂しくなった中洲のネオンを眺めながらあの日、高宮に言われた言葉を想い起していた。

今では山陽物産食糧部門長を務める三上であったが、入社当時にはとても今のような要職に就くことなど想像も縁らなかった。

チームプレイを嫌い、傲慢で頭でっかち、他人の仕事を批判するばかりで、自ら立案した企画ばかりを大事にしていた。

そして次第に社内で彼に協力するものは居なくなった。

組織力を持ってビジネス展開する商社にあって他人を信頼しない彼は翼を捥がれた鳥同然となっていた。

如何に立案する企画は素晴らしくとも、それを遂行することが出来なくなったのだ。

海外で新規の農場と契約する際も、またそれらの物流システム構築にあたっての時も、営業担当のみならず、法務部ですら彼を敬遠した。

そんな時に、福岡支店の食糧部門長として赴任してきたのが高宮であった。

高宮は三上を見捨てなかった。

いやそればかりか三上をとても可愛がってくれた。

チーム力の大切さを説くばかりではなく、個の能力の必要性も十分に理解してくれた。

そしてその想いを形に変える、更には周囲の人間を巻き込み、虜にして行く。そんな仕事の進め方、仕事に対する向き合い方を教えてくれた。

そんな高宮がいつも口を酸っぱくして言っていた言葉があった。

 

「志が大事よ。想いに熱を入れて行け。」

 

三上は、高宮との出会いがなければ今の自分は無いことを改めて思った。

それと同時に高宮からの思い出せない言葉に後ろ髪を引かれていた。

志が大事だと言う高宮の教えは常に三上の指標となって来た。

しかしながら、尊敬する高宮の教えでどうしても思い出せない言葉にここ数年悩まされているのだ。

その言葉を思い出すことが出来れば、今の己の仕事に自信や確信を持つことも、それとは逆に見直しや、ブレーキをかけることが出来るはずなのだ。

“今度の仕事はやり遂げることが出来るか?今の自分には荷が重すぎるのではないか?人生を掛けた仕事になる事は間違いない。迷っている場合では無い。だが・・・・”

 

気が付くと薄らと朝焼けが小さな部屋に差し込み始めていた。

 

同じ頃、まだぎりぎり夜の香りが残るうちにホテルの部屋へ戻った明石は、つい先日までの日常が鮮明に浮かび上がっては消えていく中、今自分が置かれている状況を整理しなければと必死になっていた。

 

 

きれいに整頓されたデスクの置時計が“チッ、チッ、チッ”と歌い出した。

いつもこの時間だ。

通常ならば気にも留めない秒針の音は夜中の1時、2時を過ぎたあたりから悲しげにこの世界の終りを告げるかのように歌い出す。

もう三日も家に帰っていないことに気付いた。

正確には二日なのだが、今から帰宅することは叶わない為、三日目も確定だった。

多少体の臭いが気になるがそれ以外はどうってことはない。

忙しいのは良いことだ。

仕事のこと以外何も考えることは無い。

これと云った趣味もなければ、親しい友人も居ない。

両親も早くに亡くしていて、数年前に一度連絡をとった姉が一人居るだけだ。

今後の人生に不安もなければ期待もない。

ただ黙々と目の前にある課題を捌いていくことに、ことのほか充実感をおぼえる。

極稀に寂しくなる。

決まってこれ位の時間だ。

そしてそれは“チッ、チッ、チッ”という時計の秒針の音と共に訪れる。

 

長くまつ毛に掛かるほどに伸びた前髪が恨めしい。

美容室に行ったのは4ケ月以上前だ。

毎日同じスーツを着て出社していることも気になる。

普段の通勤時こそ気になりそうなものだが、不思議とこの時間だ。

膝の部分が膨らんで形の崩れたスラックスに、テカテカに光ったジャケットの肘。

どこかお洒落なお店で一緒に選んでくれる恋人も居ない。

最後に外食したのはいつだったか?たしか半年ほど前のことか。

おぼろげながら記憶にあるのは郊外のお洒落なイタリアンレストランだ。

テラス席に座る勇気はないが、テラス席が望める角のテーブルは実に落ち着く空間だった。

それなりの人気店で必ず予約して行ったことを思い出していた。

当時彼女と言えたのか、正確には彼氏に成り損ねたと言うべきかであろうか。

そんな彼女のリクエストで行ったお店だった。

それからはお店が気に入ったのか、彼女に気に入られたかったのか、はたまたその両方か。

短い期間で4度、5度と訪問した。

それだけ訪問したところで、店員に顔を覚えられるでもなく、そして常連ぶる事も無く、当然と言うべきか恋も成就しなかった。

だけれども、そのイタリアンレストランは好きだった。

 

瀬尾から連絡が来たのは数日前のことだった。

酷く慌てた様子でその時は了承するしか選択肢は無いように思えた。

 

「来週の土曜日時間取ってくれ。」

「えっ、わかりました・・・・。」

 

確かそんな感じだったような気がする。

同じ大学の卒業生限定の交流会で瀬尾と出会った。

全く乗り気では無かったが、旧友のしつこい電話攻勢に折れて出席を決めた。

おそらくは人数調整と会費集めで呼ばれたことくらいは想定していた。

当日、予想通り一人きりになった。

瀬尾はそんな自分に気をかけてくれた。

聞けば、外資系金融機関に勤めていると言う。

経験した事もないいろいろな話を聞かせてくれた。

全く経験した事もない大きな話に心が躍った。

どうせその場限りの関係だろうとその日を終えた明石だったが、その後も瀬尾は時折連絡をくれ、たまに食事に連れて行ってくれた。

それだから特別親しい訳では無かったが、いつも高級そうなスーツを身に纏い、自信に充ち溢れた瀬尾を何処か羨望の想いで見ていたのかも知れない。

後日、改めて掛かってきた瀬尾の話を聞いて驚いた。

日頃から憧れかも、苦い思い出かもわからぬ感情で思い描いていたイタリアンレストランのオーナーが会いたいと言っていると聞かされたのだ。

不思議な偶然に心が躍ったことを思い出す。

 

数少ない心躍る場所であるイタリアンレストランのオーナーである毛利との出会いはとてもエキサイティングな出来事であった。

しかも、そこからの展開は平凡であることが日常であった明石にとって人生最大の大仕掛けだった。

勝手に強い連帯感、いや仲間意識を感じていた。

仮に毛利から提示された金額が10分の1だったとしてもこの提案を受けていただろう。

何の迷いも無かった。

 

毛利と瀬尾の諍いを目の当たりにするまでは。

いや、谷川旬に出会うまではと云ったほうが正しかろう。

谷川旬との出会いは興奮とは違う、また特別な感情を抱かせた。

彼のビジョンに共感できる。

彼の笑顔に引き込まれる。

彼の力になりたい。

そして、彼の傍に居たいと思わせた。

 

“俺はこのまま毛利さんの手先となって谷川旬を陥れることが出来るだろうか?”

 

きっと出来ないとわかって来ているからこそ、そして、やらなければならないと強く言い聞かせるかのように、その迷いを打ち消すように・・・・。

 

明石が複雑に交差する感情に悩んでいた頃、田村も綺麗な朝焼けをぼんやりと見つめていた。

今回のメンバーを前に、このまま恋愛セミナーを続けて意味があるものか迷っていた。

 

純粋に自分の講義を楽しみに参加してきたものはおそらく和田しか居ない。

昨夜の個人的な対話の中でも、和田に小さな嘘をついてしまった。

明石が毛利と瀬尾の知り合いとして参加しているのではないかと鋭い観察眼を見せた和田に対して、自分は知らないと咄嗟に出た嘘だ。

その事実を和田に伝えなければ成らないと感じた。

そして、恋愛成就後のアドバイスを伝えていないことも気になっていた。

たとえ一人だろうと自分を必要としてくれているならば、最後までやり遂げなければいけない。

今日、どのような展開が起ころうとも、粛々と己の仕事を全うしようと決めた。

 

 

藤原明日香の寝顔を見ながら、谷川旬も同じく、眠れぬ夜を過ごした。

彼女の想いは本当なのか?

とても嘘を言っているとは思えない。

しかし、十年以上も前に僅かばかりの会話をした程度の男に、恋愛を超えた感情を抱くことなどあり得るのだろうか?

今日のセミナーの中にその答えがあるかも知れない。

仮にその答えが見つからなければ田村に直接相談したい。

そう願ったものの、それは叶わない。

藤原明日香に今日のセミナー出席をやめるよう進言されていたのだ。

そう言われた時こそ、欠席するかどうか悩んだ。

それは、欠席しなければならない訳を聞かされなかったからだ。

「今はまだ言えない。だけど私を信じて。」

藤原明日香はそう言うばかりだった。

一頻り悩んだ谷川であったが、化粧を落とした藤原明日香の寝顔を見て欠席を決めた。

そこには遠く昔の幼い頃の藤原明日香が居た。

あの頃と変わらない真っすぐな眼差しで今日は行くなと懸命に言っているのだ。

 

“信じよう。明日香を。”自分の為に人生を捧げると言ってくれたあの時の少女を。

 

時刻は午前7:00分を迎えた。

ホテル朝食の時間は7:00~8:30分までの間に1Fフロント奥のスペースで摂る事に成って居る。

その朝、朝食会場に姿を見せたのは、田村と和田、そして綺麗に化粧を終えた藤原明日香だけであった。

 

9:30分に開始予定のセミナー2日目最初のプログラムに谷川旬の姿は無かった。

その代わりと言う訳ではないだろが、昨夜、藤原明日香と衝撃的な対話を終えたばかりの近藤が改めて参加していた。

 

谷川旬が2日目の講義を欠席することを知った毛利は、自身の途中退場を決めた。

それに続くように明石までも体調不良を理由に欠席した。

以外なことに瀬尾は残っていた。

 

こうして、田村のセミナー最終日は、三上、佐藤、和田、瀬尾、そして近藤と向かい合うことで始まった。

 


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