第10章:回想(小説「悔恨」)

福岡小説小説:悔恨
2015年10月26日 月曜日

「泣くなよ、弱虫。」

昨日までは毎日泣きながら、送迎のバスに乗っていた。

でも、今日からは、バスに乗ることも出来なくなった。

『おばあちゃん、一緒きて。僕、怖いよ。』

俺は内気で、泣き虫で、一人で幼稚園の送迎バスに乗ることも出来ない子供だった。

園内の記憶は何一つない。

不安で仕方ないだけの真っ黒い世界だ。

唯一記憶にあると言えば、母親と一緒に参加した芋ほり体験だけだ。

 

そして、そのままの内気な少年は、小学校に入学した。

入学式の記憶もない。

小学校4年生で転校するのだが、転校前の数年間の思い出は、何一つ思い出さない。

家族揃って、北九州市の中心部から、田舎町へと引っ越した。

新しい家に慣れるまでは少し時間がかかり、小学校から帰宅時、家に誰もいないと、怖い、怖いと、壁にもたれて泣いているような子供だった。

 

両親共働きで、父親に至っては、ほとんどその姿を見たことが無いくらいだった。

 

丁度その頃、激しい高熱で数日間魘されたことがあった。

このときに自分が宙に浮いて、寝ている自分を冷静に見ている。という不思議な体験をした。今でも鮮明に覚えている。

結局、母親に何度話しても気のせいだと請け合ってもらえなかったが。

また、その年の夏、不思議なことが一週間ほど続いた。

自分の部屋をもらい、一人で寝るようになっていたが、夜中にリビングや両親の寝室などを徘徊するようになった。夢遊病だ。

さすがに、外にまで出て行くという事は無かったが、時には泣きながら意味不明の言葉を繰り返していたらしい。たまたま、家に居合わせた父親が、激しく頬を引っぱたいて「しっかりしろ」と叱りつけていたらしいのだが、留まることは無かった。

両親は不安になり、対応に苦慮していたようなのだが、同居する祖父が“、暫く自分が一緒に寝る”。と言って、俺は祖父と一緒に寝ることになったらしい。

三日ほど経ったところで、ピタリと治まったようだ。

丁度その頃に、赤ちゃんの頃から可愛がってくれた祖母が亡くなった為に、そのことが原因だろうと祖父が話していたということだ。

祖母同様に、弘一朗が19歳の時に亡くなった祖父には、とても可愛がってもらった記憶がある。

祖父とは違い、父親との小学生の頃の思い出は、頬を張られたほかは、あと二つ。

小学校の高学年になると髪形を意識するようになった。当時流行っていたメンズムースをつけ、色々な髪形を試して登校していた。

ある夏の暑い日に、父親が不意に髪を切ってやると言ってきた。

絞り出すようにああしてほしい、こうして欲しいと伝えたが、終わってみれば見事な丸坊主になっていた。

俺は一頻り声に出さずに泣いた。

今となっては何故涙が出たのか思い出せない。

坊主にされたことが嫌だったのか?

色々とお願いをしたにも関わらず坊主にした父親へ憎しみだったのか。

それとも、文句ひとつ言えない自分に対しての涙だったのか・・・。

 

あと一つは、俺の誕生日の出来事だ。

その頃釣りにハマっていた俺に、明日釣りに連れて行ってやると父親が言ってきた。

ちゃんと準備をしておけと付け加えて。

小学生の釣りと言っても、割と本格的だった。

朝4時くらいに家を出て、朝まずめの荒磯で、クロダイや、メジナを狙う釣りをしていた。

親戚の中に子供のない夫婦が居て、月に一度ほど、そのような釣りに連れて行ってくれていたからだ。

俺はその叔父さんが大好きだった。

自分の父親と変わってくれたらいいのにと思うこともあった。

また、少し異常なことだが、大好きな祖母が亡くなった際も、その叔父さんが家に泊まるという事がうれしくて堪らないほどだった。

 

準備は小学生にしてはそれなりに大変だった。

撒き餌と言って、オキアミを冷凍させたブロックを海に巻きながら魚を寄せて釣りをするのが定番だ。母親からお小遣いをもらい、隣町にある釣具店へ行き、何キロもある冷凍したオキアミを自転車の前かごに入れて帰ってきた。

他にも、釣り竿やリールの点検、事前に作って置ける仕掛けなども、全部準備した。

すべて終えたころには、夜20:00くらいにはなっていたと思う。

明日は朝早い。早く寝なければと思う程、興奮して寝むれなかったのを思い出す。

途中何度か起きて、父親の車が返ってきているか確認をした。

まだ、帰ってきてはなかったが、母親が早く寝なさいというので、無理矢理布団に潜った。

夜中になっても寝むれず、何度か父親の帰宅を確認しようと思ったのだが、なんとなく怖くて、そうはしなかった。

そして翌日、目を覚ますと周囲は明るくなっていた。

時計を見るとお昼の12:00少し前だった。

母親は悲しそうな顔をしていた。

父親の車は、なかった。

そんな父親だった。

 

小学校高学年になると、いよいよ心配した母親が空手を勧めてきた。

かなり遠いところにある道場で、そこに通っている近所のおじさんが車で乗せて行ってくれるという。

いやいや、見学に行った。

違う学校の生徒や、中学生、高校生から、大人まで、知らない人たちに囲まれて怖くて仕方なかった。

どうしても行きたくなかったが、取りあえず週に二回だけだからと母親に言われ、泣く泣く空手を始めた。

始めてみると、楽しかった。とても楽しかった。

昇級試験も楽しみの一つで、白帯だったものが、黄、緑と変化していくのが堪らなくうれしかった。

結局中学三年生の頃には行かなくなってしまうのだが、その頃には黒帯で二段になっていた。

空手を始めたことで自信がついた。

小学校では活発になり、毎期学級委員長をするようになった。

 

中学校に入ると田舎学生にありがちな、普通の不良になった。

 

空手には流派があり、一概には言えないのだが、中学生の頃には、全国大会で二度優勝するまでになっていた。

そのためか、喧嘩で負けることは無かった。

だからといって自分から暴れるわけでもなく、なにかよその学校の生徒とトラブルがあると、出て行っては納めるという存在だった。

相手は軽いケガから、骨折、大流血のものまで様々で、母親は何度も学校に呼び出されていたが、不思議とあまり怒られた記憶は無い。

あまりにも脆弱だった息子に、空手を習わせた自分のせいだと感じていたのか、それくらい元気があったほうがいいと思っていたのかはわからない。

この頃、父親に一度だけ怒られた記憶がある。

おぼろげな記憶だが、おそらくは喧嘩が原因だった。

正座をさせられ延々と説教をされた。

その頃もまだ、父親のことは怖くて仕方なかった。

その説教が終わった時に、父親がニヤリと笑ってこう言った。

「お前本当に強いのか?ここ思い切り蹴ってみろ」左足の太ももを差し出してきた。

弘一朗は、躊躇したが、半分くらいの力で廻し蹴りを入れた。

父親は蹲って暫く立ち上がることができなかった。

本気で蹴っていたらどうなっていたのだろう?親父を超えると悲しい気持ちになるというような例えを聞くことがあるが、それでも父親のことは怖かった。

 

中学三年生になる頃には、このままでは人生駄目になる。と、何故だか急に焦った。

一つ上の姉の影響もあったのかも知れないが、高校入試前の数か月間は猛勉強をした。

どうせなら、賢い姉と一緒の学校に受かって見せる。そういう思いだったと記憶している。

その結果、姉と一緒の高校に合格することが出来た。

周りの友達からは、親しみを込めてか、邪念か、裏切り者だとか、信じられない。とか、ともかくよく合格したものだと驚かれた。

高校入学後は、勉強では完全に落ちこぼれたが、対人関係においては、今の志向が形成された時期だと思っている。

今となっては、田舎暮らしの井の中の蛙か、只の勘違いだったのは確かだが、俺は、

 

常にリーダーとして。

常に頼りにされる存在だ。

みんなに頼られ、その期待に応える自分。

よその学校からも注目される自分。

 

この頃になると、父親を家で見ることは殆どなくなっていた。

何一つ実りの無い高校生活があっという間に終わり、三流大学に入った。

ここが、もうひとつの大きな転機だった。

 

「大学に進学するためのお金がない。」ギリギリで母親にそう告げられた。

そういわれる少し前、数か月ぶりに話をした父親から言われたことがあった。

「進学するのか?だったら思い切り遊べ。最後になるぞ。」

 

何だったんだ。あの言葉は。

その時、金が無いと言ってくれていればいろいろと手も打てたはずだ。

おそらく母親は、金は何とかするから大丈夫だとでも父親から言われていたのだろう。

しかし、土壇場になっても金は用意できず、それを伝える嫌な作業を母親に押し付けたに決まっている。

そして、新聞奨学生という制度があると告げられた。

新聞社が学費を立て替えてくれるのだ。

その代わりとして、朝刊・夕刊の配達、チラシ広告の折り込み作業を行う。

住むところも提供してくれる。

新聞配達センターの寮、もしくは近隣のおんぼろアパートだ。

俺の場合は近所のアパートだったが、部屋の畳からは、見たことも無い植物がたくさん生えてきた。

夏になると、これまた初めて見る虫に体中を噛まれ、全身真っ赤になった。

毎朝三時から広告折込を初め、その後カブと呼ばれるバイクに跨り、朝刊を配達する。

終わるのは7:00前後、それから準備して学校へ行くわけだが、きついし、眠い。

夕方17:00くらいからは夕刊の配達。

休みは1月1日だけだ。

いざ、実践してみると体力的には大丈夫だったが、心が辛かった。

 

高校時代までは自分が中心に周りが動いていると思っていたくらいだ。

夕刊配達が恥ずかしかった。同年代の女子学生などに会うのが苦痛だった。

仲間と、カラオケに行っても一人早めに退散し、キャンプなどの宿泊行事はすべて断った。

貧乏で新聞奨学制度を活用していますといえず、内緒にしていた。

理由なしに断る俺は、付き合いの悪い変わり者だと思われていただろう。

さらに、田舎から出てきて、いろいろなことにカルチャーショックを受けていた。

友達も出来なかった。

期待に溢れて遣ってきた博多が大嫌いになった。

 

大学での、ただ一人の友達が谷中悟だった。

唯一谷中悟だけに新聞奨学生のことを話した。

 

入学からすぐに仲良くなった。

いつも一緒で、いつも腹を空かしていた。

博多が地元の谷中の実家で、毎日のようにご飯をご馳走になった。

決まって、明太子と大根の味噌汁と卵焼き、後はなんだったかなぁ。

谷中は、田舎者の俺に博多の楽しさを教えてくれた。

安くて美味しい食べ物、人込みで賑わう天神の町、大人の雰囲気漂う中州の夜。

そして時には、谷中家のおんぼろ軽自動車で海の中道にいったり、花畑ダムでの即興レースに参加したりと本当によくしてくれた。

楽しかった。

谷中がいなければ、俺の、最後の学生生活の記憶は、新聞配達しか残らなかった。

そんな俺は、些細な交通事故で新聞配達が出来なくなってことをきっかけに、大学を辞めてしまった。多分、逃げたんだ。新聞配達から、思い込みの傍目から。

 

実際は、誰も俺のことなど、気にもしていなかっただろうに。

 

谷中悟と過ごした以外で、記憶に残る事と言えば、皆で旅行業界に就職したいと語りあったこと、あとは、川で溺れていた小学生を助けたことくらいだ。

その後フリーターとなって始めたバイトに、俺はのめり込んでいった。

天神の外れにある、お洒落なBARだった。

ここでは、大人になる為に必要な色々なことを、色々な人に教えてもらった。

今迄出会ったこともないような、大人たちの話を聞けることが、なにより楽しく、そして刺激になった。

一年も働かないうちに、突然オーナーに言われた。「この店、お前にやるよ。」

元々資産家で、沢山のお店を経営していたオーナーは、若いやる気のある人間にチャンスを与えてきたようだった。

今迄にも俺のようにチャンスを貰った若者は、片手では聞かないくらいだと、常連さんに教えてもらった。

この頃、将来の妻となる女性とこの店で出会い、付き合いが始まった。

不思議なものだが、お互い初めて会った時には“この人と結婚することになる”と思った。

 

また、高校の卒業式の日にも合うことの無かった父親から連絡があった。

今も昔も俺の居場所を見つけ出す能力には感服する。

そして、母親と離婚したこと、自己破産したこと、それにより実家が取り上げられたこと、住むところが無いこと、要するに金が無いから助けてくれとお願いされた。

この時俺は、はなんとなくだが、うれしい気分だった。

大人の男として見てもらえていると思った。

待ち合わせのファミリーレストランへと、買ったばかりのフェアレディZを走らせた。

久しぶりに再会した父親は随分と痩せていた。

久しぶりの食事だったのだろうか、オーダーしたチキンステーキを、もの凄い勢いで食べていた記憶がある。

纏まったお金を渡した後、別れ際に、『車ないなら買おうか?』と思わず言ってしまった。

父親は「助かるよ。ありがとうな。いい車だな、お前も車好きか?」と言ってきた。

多分、俺はなにも答えなかったと思う。

 

次に父親に再開するのは、俺が純二と会社を興してからだ。

 

そんなある日、常連客だった日本証券の部長とこんなやり取りがあった。

 

「お前さんが店を切り盛りするようになって、繁盛して来たな。この1店舗目は偶然のラッキーだとして、次は何を考える?」

『この若さでこんなお店を頂けて、今はそれだけで満足です。』

「そうだよな。21,2歳そこらでこんな店のオーナーさんなんて中々いないだろう。お前さんの同級生からしたら凄いことだ。また、俺のような爺さんから見ても羨ましい。もう少しして定年を迎えたら、こんな店を持ってみたいと思うこともあるよ。二店舗目、三店舗目と拡大していく野心はあるのか?」

『爺さんだなんて・・・・。そうですね、店舗展開面白そうですね。』

「そうか。ただな、こう言っては失礼だが小さな世界だ。金は稼げるかも知れない。

そして、お前さんは今、浮かれているだろうが、昼の世界でバリバリ働いている奴らからすると、そんなに羨ましくは思ってないだろうよ。厭味でも、僻みでもないぞ。

俺の言っていることがよくわからんかもしれんが、まぁ、簡単に言うと今しかできないことをやって見るのもいいんじゃないかと、ふと思っただけさ。あと前々から思っていたことが一つある。お前さんこの仕事向いてないよ。」

『向いてないですか?自分ではよくわかりません。僕にはどんな仕事が向いています?』

「批判しているわけじゃぁない。本当になんとなく、なんとなくだが、こんな話がしたくなった。酔ってはいないよ。」

 

「お前さん、俺の紹介する会社で働いてみないか。担当者に話をつけてやる。」

 

このやり取りがきっかけで、前職の会社に入社した。

譲り受けたお店はオーナーにお返しした。

「この店が、いいきっかけになったのなら良かった。暫くはこの店開けておくから顔見せに来い。」と温かく送り出してくれた。

その後は転勤や、忙しさに託けて、一度も顔を出すことは無かった。

自分が大切で自分がすべてで、恩ある方に憂いの思いをさせていたことを、今頃になってでも気付くことが出来てよかった。

ちなみに、日本証券部長の強い推薦があったということで、新卒の年齢ながら、課長級でのスタートとなった。

右も左もわからない世界だったが、分かっている、出来るふりをしてがむしゃらに働いた。

学生時代の部活のように、できるふりは見抜かれ、一度や二度、降格させられたが、

部活や、大学のように辞めることなく、初めて本気で頑張ったと記憶している。

 

そして、その会社に数か月先に中途入社していたのが、井川純二だった。

高校を卒業して以来だった。何年振りだったろうか。二人とも大いに驚いた。

お互いのこれまでの歩みや、入社の経緯など、いろいろ話した。

「やっぱり、はらちゃんはすごいや。よろしくお願いします。原田課長」

『君も頑張って、まずは主任になるんだぞ。井川君。』

つまらない冗談を言い合ったのを思い出す。

その後、俺は部長まで昇進し、純二は鳴かず飛ばずであった。

 

その後、こうして一緒に会社を興した。

俺が純二を誘った。

いや、純二が俺を誘った?設立の経緯が曖昧になってきた。

順調に会社も成長した。

会社がある程度の規模まで来たところで、大親友だった谷中悟も合流した。

そして、父親にも新しい会社の役員ポストをプレゼントした。

父親も、谷中も、純二も、純二の家族もみんな喜んでいた。

俺も幸せだ。

途中で会社を悟に任せて、俺は純二と親父と、新しい事業に取り掛かった。

いろんな苦難はあったが、何とか乗り切った。

 

ここまで来るのに、妻には随分苦労をかけた。

でも、もっと迷惑をかけてしまったのは安田優里奈だ。

 

弘一朗は久しぶりにクラブ アマルフィに来た。

 

最大の危機を乗り切ったことで、純二と悟と祝杯を挙げに来ていた。

株式会社ネクストドアが、思わぬ高値でショップを買収してくれたことで、妻は勿論、安田優里奈が援助してくれたお金も、すべて返済することが出来た。

安田優里奈は、三人が楽しそうに話す様子を傍らで見ながら、うれし涙が止まらなくなり、バックルームに駆け込んだ。

“私の大切な弘一朗が日常を取り戻した。普通でいい。特別である必要はなにもない”

 

安田優里奈と入れ替わるように、一人の女性がテーブルについた。

 

「初めまして、長谷川里緒奈です。」

 

初めて見る女性だった。

『あれ、前からいた?俺のこと知っている?』

普段はどんな子であろうと気にも留めない弘一朗だったが、この日は違った。

「いえ、初めましてです。」

その夜は、三人で遅くまで語り合い、楽しい夜を過ごすことが出来た。

谷中は業界再編に向けて気を引き締めていたし、井川純二は少しゆっくりと考えて、今後の仕事を考えたいと言っていた。

と言うのも、今現在、弘一朗の会社に事業はない。

同様に弘一朗も、今後なにを展開していくか、誰とやって行くかをまさに今から模索するところだ。

当然、会社を清算するつもりも無ければ、純二と共になにかをやって行こうと考えている。

 

弘一朗は、あの夜以来、なんだかそわそわして落ち着かない。

 

多分、いやきっと俺は、長谷川里緒奈を好きになる。

 

今はまだ、好きという感情はないし、連絡先すら知らない。

しかも、献身的に支え、そばで寄り添ってくれている安田優里奈と同じ店の女性だ。

常識的に考えれば、そんなことはありえないし、あってはならないことだ。

そもそも俺には妻が居る。

 

だけど、俺は長谷川里緒奈を好きになる。間違いない。

 

そんな想いを払拭する為ではなかったが、時間のゆとりのあるうちにと、安田優里奈と初めての旅行に出かけた。

不倫の関係であるにも関わらず、一度も旅行に連れて行ってあげたことが無いばかりか贅沢の一つもさせてあげたことは無い。

勿論、彼女がそんなことを望んでいないことも重々承知している。

今まで丸々二日も一緒に過ごしたことの無かった優里奈は、本当に幸せそうにしていた。

幸せすぎると言って涙を流していた。

その時弘一朗が何を考えていたのかと言えば、優里奈には本当に辛い思いをさせてしまって申し訳ない。という思いと同じくらい、妻に申し訳ないと思っていた。

ここ何年ずっとその感情に苦しんでいる。

そのうえ長谷川里緒奈までと考えている自分が恐ろしくなった。

妻と一緒になってこれまでも、何人の女性から言い寄られたか数え切れないほどだ。

その中で付き合った女性は、安田優里奈だけだ。しかも弘一朗から交際を迫ったわけでは無い。それなのに、長谷川里緒奈だけはちがう。そんなことを考えていた旅行の帰り際になって、優里奈が言った。

 

「今回の事でよくわかった。奥さんと離婚してくれなくても、私はずっとそばにいます。」

弘一朗はもう、どうしていいのかわからくなっていた。

 

それからと云うもの、大した用事もないのに、クラブ アマルフィに足が向いた。

毎週二回程訪れるようになり、安田優里奈も驚いていた。

安田優里奈は呼ばれる席も多く、忙しくしていた。

そんな時は、呼んでもいないのに長谷川里緒奈が必ず横に付いた。

 

弘一朗と安田優里奈の関係を知る者は店では数少ない。

何回目かの時に、日曜日に食事に連れて行って欲しいと長谷川里緒奈に誘われた。

心の葛藤は、俺も悩んでいるのだというフェイクだろうか。

実際に悩むことはなかった。

 

『ここのビーフシチューはうまいんだ。あと、桃の冷製スープもね。』

「うん。美味しい。」

住宅街の中にあるこぢんまりとしたイタリアンレストラン。

思い返してみると、この店に連れてきた女性とはみんな付き合っている。

決して高い店ではない。

妻とも、優里奈とも来たことがある。

逆を言えば、付き合うつもりの無い女性とは来ていないという事だ。

狭い店内は、その日もたくさんのOLや、恋人たちで賑わっている。

賑わっていると言っても、騒がしいわけでは無く、どこか心地良さを感じる、暖かみと表現するほうが正しいのかも知れない。

お店での会話は、何一つ記憶にない。

その後、近くの海岸線に車を走らせ、見晴らしのいい場所で車を止めた。

その時の会話はとても鮮明に覚えている。

 

『俺、アマルフィに彼女が居るんだ。もう長い。』

長谷川里緒奈は流石に驚いた様子であったが、

「さゆりさん?美香さん?優希さん?」と思いつく女性の名を数名上げた。

『違う。優里奈だ。』

これには長谷川里緒奈はさらに驚いた様子だった。驚くと同時に、落胆した様子で言った。

「それは予想外。厳しいなぁ。優里奈さんにはかなわない。」

 

長谷川里緒奈は本当に綺麗な顔立ちをしていた。

綺麗かどうかの判断には、個人差があるだろうから、俺の理想を絵にかいたような顔と言った方が的を選てる。

性格だ、背景だ、なんだかんだ言ったところで、所詮は顔だ。

それだけでは無い、彼女の先の読めない言動や、人に媚びない立ち振る舞いに、増々惹かれていた。

多分、好きだから、すべてが良く思えるだけだ。

それくらいのことは、自分でもわかっているつもりだったが、それだけでは説明の付かないなにかを感じていた。

 

『それはわからないけど、安田優里奈とは別れられない。せめて違う店だったら良かったのに。』などと、最低な発言をしながら、諦め切れずにいた。

そこからは確信に触れないよう、お互いにいろいろな話をした。

その時の長谷川里緒奈のひとことが、弘一朗に残る僅かな迷いを振り払った。

「わたし、小学生の頃、川で溺れたことがあってね。通りすがりのお兄ちゃんに助けてもらったことがあるんだよ。」

『へーそうなんだ。んっ、ちょっと待てよ。どこで溺れた?いや、待って同時に言おう。』

『板付』「板付」

繋がった。

あるんだ。こういうことも、と初めて思った。もう運命だとも感じた。

それと、付き合うしかないんだとも。

『すぐには無理だけど、安田優里奈とは別れる。付き合おう。』

答えはイエスだった。

 

こうして、事業がない、当然収入のない、会社社長という肩書だけを持つ弘一朗は、献身的に支えてくれる妻と、愛人、更には一回り近く年の離れた理想の愛人の三人の女性と時間を過ごしていくことになった。

不思議なことに、申し訳無いと思う対象が増えたことで、気持ちが少し楽になった。

 

弘一朗は自身を守る都合の良い脳を持っているようだ。

 

その頃には井川純二も自身の進退を決めていた。

自分が企画した事業に携わりたいとの考えを聞いて、株式会社ネクストドアに純二の居場所をお願いした所、すぐに快諾してくれた。

福岡4店舗の責任者のおまけつきだ。

この時は本当にホッとした。

谷中悟と共に、笑顔の中で純二を送り出した。

井川純二の居場所を作れたことに安堵したのか、同じ会社でこれ以上友人関係を壊すことが無くなるという現実に対するものだったのかは分からない。

 

暫くは順調に推移していた株式会社ネクストドアだったが、アメリカ市場の混乱に端を発した金融危機の余波を受け、倒産した。

当然、井川純二はその居場所を失った。

福岡のマンションを引き払い、母親の住む実家へ戻ったと谷中悟から聞かされた。

その後は、携帯電話の番号を変えたらしく、谷中も連絡を取っていないという。

 

守りたかった友情はその笑顔の日を最後に途絶えたままだ。

 

一方弘一朗はというと、今までの失敗から学んだことは財産だと思えるようになったようだった。

新たな事業を創造するのではなく、他の会社のサポートをしていくことを決めた。

ビジネスサポート業務を開始すると、すぐに幾つかの会社から依頼が入り、すぐに軌道に乗ったが、多くの従業員を抱えず、少人数で運営することにした。

今までの経験から学んだことだ。

クライアントに足りない部分を、サポートして報酬を頂く。

実に、充実感のある仕事だった。

クライアントは倍々に増えていき、毎日目の回る忙しさだった。

 

丁度その頃、長谷川里緒奈との関係を安田優里奈が知るところとなった。

同じ店で働く女性から聞いたとのことだった。

 

「私との間が家族のような関係性になって、別の女性に目が向いてしまったことは、お互いに責任があったと自分に説明がつく、だけど同じお店の子とそういう関係になるというのは絶対に許せない。」

今まで見たことも無い、鬼気迫る、強く悲しい瞳だった。

元々控えめで、奥ゆかしい女性であったが、安田優里奈と俺の関係を知る、お店の女性から知らされたことで、お店の他の従業員の大多数が知っているであろうという事が彼女の自尊心を、大いに傷つけたようだ。

最後に何か償いをさせてほしいと、申し出たが、その答えは当然NOだった。

これまでの最高に苦しい時期を、文字通り陰から支え続けてくれた安田優里奈との関係が終わった。

 

弘一朗の会社が息を吹き返したことで、谷中悟との間に不穏な空気が流れ始めた。

関係会社貸付金の清算や、光太郎に貸付けたままの500万円の扱いが再燃したのだ。

谷中悟はこの時期、資金を必要としていた。

以前から噂のあった業界再編がいよいよ始まろうとしていた。

資金の無い代理店は、資金力のある代理店に組み込まれる。

資本主義の原則がいや応なしに迫ろうとしていた。

しかも、それは株式会社イーロンが主導していく立場にあり、今までのように助けてくれる存在ではないのだ。

もちろん、株式会社ニュートンスクエアが資金力のある代理店側に立つことが出来れば、今まで以上の密林関係が再構築されることは想像に難くない。

谷中悟にとっては正に正念場と言える。

また、貸付金等の問題が再燃した理由は、もう一つあった。

 

原田光太郎だ。

 

少額短期保険事業失敗の失意からか、または責任を取るためか、自殺をしたものと思われていた光太郎を、偶然に谷中悟が見かけたというのだ。

それを聞いた弘一朗は、よかった。と安堵したわけでは無い。

 

やっぱりな。

 

弘一朗は、父親が自殺したとは思っていなかった。思っていなかったというよりも、過去の経験に裏付けされた事実を優先していたと言った方が相応しい。

光太郎は、過去にも幾度となく自殺すると言っては姿を消し、ほとぼりが冷めた頃になると姿を現すという事を繰り返していたようだ。

様だというのは、母親からそのように聞かされていたからだ。

そう、そして姿を現すときには決まって母親、いまとなっては別れた妻という事になるが、彼女を頼ってくるらしいことも。

今回も、母親を伴って芝居にもならないお詫びを入れに姿を現した。

弘一朗は、感情的になることもなく、淡々と事の経緯を話した。

谷中悟から引き出した500万円についても、一切に口に出さなかった。

 

許すも許さないも無い。一緒に事業に失敗しただけだと、それぞれが、それぞれに新たな道を歩き出していること、そして、二度と事業的な支援は出来ないことを伝えた。

 

この日を境に、弘一朗は父親を、おやじと呼べるようになった。

それと、もう一つ、おやじのことが怖くなくなった日でもあった。

その後、谷中悟とは何度となく話し合いの場を持った。

 

元々は自分の会社から、資金を廻したものだ。

弘一朗個人として不正に使い込みを行ったわけでは無い。

それでも、苦しい時に支えあってこその親友だという思いは常にあった。

あの事を知らなければ、無理をしてでも貸付金の返済をしていただろう。

谷中悟を、サポートしていこうとしたはずだっただろう。

 

あの事とは、以前株式会社イーロンでの面談時に、資料として提出された決算書にあった。当時、谷中悟から説明された役員返済金3,000万円は、関係会社貸付金が多すぎるために、株式会社イーロンを欺くための転載などでは無かった。

実際は本当に行われた役員返済だった。

そう、谷中悟が母親から借りた3,000万円だ。

谷中悟に取締役のポストと、その後の道筋を付けたあの3,000万円だ。

その事実は、原田弘一朗と谷中悟の関係を終わらせるには十分過ぎる材料だった。

話し合いは決裂となり、二人の友情も終わりの時を迎えた。

 

色々な終わりを迎えることが絶望ならば、弘一朗に取っての希望は、長谷川里緒奈だった。

数々の別れを経験し、今、弘一朗のそばにいるのは長谷川里緒奈だけだ。

 

偶然か、または必然なのか、想定外だったのは、リニューアルした実家の和菓子屋が思わぬ繁盛振りに見舞われたことで、弘一朗の妻はその大半を実家で過ごすようになっていた。

長谷川里緒奈へ大きく傾いた気持ちは、その距離のごとく妻との絆を撃砕していった。

仲睦まじかった二人に未来のひかりは見えない。弘一朗は妻との時間に別れを告げた。

 

共に戦う仲間を失い、受難の日々を支えた人々への裏切りの悔恨を打ち消すように、まるで、今ある時間に終わりが近いことから逃れるように、そして、自分の存在を観取するかのように、長谷川里緒奈を強く抱きしめ、その眼差しを見つめた。

 

そこには、長谷川里緒奈の愛に包まれたはずの瞳はなく、映写された真実が語りかけてきた。

 

苦難を楽しいと嬉しそうに笑った妻が、ずっと一緒に居ますとはにかんだ笑顔の安田優里奈が、はらちゃん、はらちゃん助けてよと泣いている純二が、そして両手を広げ温かく包みこんでくれたおやじがそこにはいた。

 

最後に見えたものは、夕焼け前の妖艶なひかりに包まれて泣いている、自分自身だった。

 

 

 

 

 

 

なぜだ。

今迄の記憶が一瞬にして蘇ってくる。鮮明に、

 

1章:ひかり
2章:友情
3章:変化
4章:親子の関係
5章:勝負
6章:破滅
7章:悟の狙い
8章:父の想い
9章:純二の視点
10章:回想
最終章:闇の真実


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